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センチメンタル実家



近頃、「実家」という場所に行くとセンチメンタルを起こすんだ。それは悪い意味ではなく、やけに良い意味で。

私の実家は、お金持ちでもないし、貧乏でもない。両親が健在で、未婚の兄がいて、祖母が同居しているから大人が4人で暮らしている。とぼけてお茶目なボーダーコリーもいる。ちょっと変わった普通の家だ。そこへ、私は息子を連れて遊びにいく。

実家の玄関をあけると、まずやってくるのは決まって母だ。そして母は言う。
「いらっしゃい。」
見慣れた玄関をあがるがそこはもう「おかえりなさい」じゃないと、頭が知る。

そして玄関からすぐのリビングに上がると、目の前のソファには、父が腰掛けている。そして父も言う。「いらっしゃい。」
そしてすぐ席を立つんだ。常に、愛娘である私の存在を待ちに待っている父は、私の姿を見るや否やテレビを消して、「コーヒーでも淹れるか。」とお茶を出してくれる。この辺りまでがお決まりなのだ。そしてちょっと特別で、素敵なコーヒーカップにホットコーヒーを淹れてくれる。子供の頃にはなかったこのコーヒー。それに思春期になってからは、気恥ずかしくて座れなかったはずのソファ。そもそも居心地が悪かった筈のこのリビング。なのにそこで私はいま、娘であると頭が知る。

息子のレイを連れていくときは、母が面倒を見てくれる。母はレイのことを宝物のように扱う。育児は大変だと言う次には、レイは希望に溢れていると言う。だが、そんな母も二言目に語るのは決まって、私の昔話だ。そして父が、すぐ混ざってくる。父はすぐに昔のアルバムを広げては、幼き私の写真を見て懐かしがり、ニヤニヤ嬉しそうに育児を語る。ふたりとも孫よりも幼き頃の娘エピソードに夢中である。気にしているのはいつだって娘なのだろう。
そこで父は言いだす。「お風呂に入っていけ。たまには湯船にゆっくり浸かりな。」なんて。お言葉に甘えて私はお風呂を借りる。お風呂には知らないシャンプーやらコンディショナーがズラズラ並んでいる。大人が4人もいるもんだから皆んな、好き勝手に置いていて何が何だかわからない。テキトーに借りては体を流し、湯船に浸かる。見慣れた浴槽なのに、広く深く。ややリッチな気分になる。そして湯船を出て身体を拭くと、バスタオルからは私と違う香りがする。どことなく母の香り。私もあの頃は、この香りだったのだろう。頭が知る。

お風呂から出て、麦茶をもらう。そこで私は父に、なんでも相談する。仕事のことも、家庭のことも、子育てのことも、友達のように話す。そして母にもなんでも話す。それはまるで
友達のように。
ただ、友達のように話しているのは私だけで、父と母はいつでも娘を見ているんだって。
冷たい氷の入った、麦茶を見て思う。

帰る時には、家の外まで出てきて「気をつけてね」を連呼するのが母と父。「ご馳走様」と言うのが私。楽しい時間はあっという間。帰り道に車を運転する私は、娘から母に戻る。お家に帰る。私には私のお家があるからね。

いつからか、私は大人になって、親になって、私の周りにある世界は優しくなって。私は素直になって。娘だけど、あの頃のお家はもうない。ハッピーセンチメンタル。


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