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夢から覚めても




検査したら心臓が悪くて。手術するとかなんとかお医者さんは淡々と言った。「成功率は20パーセントだ」とかなんとか。ショックというよりは覚悟を決めて入院一日目。病室のテレビでは「なにわ男子」が歌っていた。ひたすら前向きな人生の応援歌だ。それを聞いていた付き添いの旦那さんが言った。
「こういうことだもんな。大丈夫だよな。」
涙は堪えてるが、今にも崩れそうに震えた声をして。彼は溢れそうな涙を見せないように無理して笑った。そのぎこちなさが、事の深刻さを映し出していた。

翌日、快晴の日曜日にお見舞いに来たのは、私のお母さんだった。やっぱりこんな時に頼もしいのは、彼女だ。私のお母さんは、どんな事態にもあっけらかんと対応できる宇宙から来た少女なのである。普通の風邪みたいに当たり前のいつもの会話をしてケラケラ笑って、お母さん。おかあさん。おかあさん。
面会時間はあっという間。帰らないで欲しいよ。夜の病室が一番つまらないんだ。この先の未来が全て、この部屋の中で終わっていくような絶望と眠る。

翌日、月曜日はどんよりと曇り。雨の降り始めにお見舞いに来たのは義母と、義姉だった。「空に虹がかかってる!」と思ったらカーテンの柄だった。義母とする会話は「食欲が無くて。困っているんですよね。」ってそういうハナシ。隣で義姉が気まずそうにしていて、なにか他の話題を探すのが私なんだけど。その日、気を使えるような気力は湧いてこなかった。
夕方、仕事終わりの旦那さんが顔を出してくれたんだけど。タイミング悪く「なにわ男子」のなんちゃらって応援歌がまた流れてしまって。ちょっとだけ、俯いていた会話をした。

それから何日も。Instagramのストーリーズには何も投稿できないまま。もうどのくらいたったのかな。

急にこの世界に期限がついた気がして。
食べたいものは何?
会いたい人は誰?
今の私にできることはなに?




と。そこで、目が覚めた。
私は数秒間、真っ暗な寝室の中。自分の心臓が悪くなっている気がして、どうしても悲しくて仕方なかった。それから夢だと気がついて、この暗闇が現実であることがどうにも有り難かった。感謝と同時に、さっきまで病室で過ごしていた自分に、申し訳なく思った。あそこで戦っていたのは紛れもなく私だった。生きる覚悟を決めて未来を祈った私から、命のメッセージをもらったんだ。

しばらくの間、夢を恐れて眠れなくなった。時計に目をやると深夜2時36分だった。



今朝、目が覚めたのは7時25分。少し寝坊。隣の息子と、その隣の旦那さんと目があって交わす「おはよう」に、私は無意識で微笑んだ。泣きそうな顔で、微笑んだ。今日があること、明日が続くことは当たり前じゃない。私が今日したいことをしよう。私が今日、食べたいものを食べよう。私が今日、愛したい人を愛そう。私が今日、できることをできる限りやり尽くそう。明日も、明後日も。

そんな感じです。



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