他人からの評価、他人への評価

社会に出てから、2年が経った。長かったような気もするし、短かったような気もする。何しろ2年間で色々なことがあったから、安定した学生生活を送っていた頃と比べると、時間の感覚がよく分からなくなってしまった。

2年も経つと、2年間社会人をやってきた自分はちゃんと成長できているのだろうか、と少し不安になる。できなかったことができるようになったり、学校では教えてもらえなかったことを学んだり、確かに見えるものや価値観の幅は広がったと思うが、2年前の自分が、今の自分を見て誇らしく思えるほど成長できているかどうかと考えると、あまり自信が無い。

それでも、色んな環境を見て、色んな人に出会ってきて、わたしなりに今までの考えを改めたことがある。他人から自分が受ける評価や、自分が他人に抱く評価についてだ。

今までわたしは、自分がけっこう他人のことを自分のしっかりとした価値観で評価できていると思っていた。

でも、全然そんなことはなかった。自分が「いい人」だと思っていたとしても、別の誰かが「あの人はこういうところがあるからダメだ」と言うのを聞くと、自分には見えていなかった事実があることにショックを受けた後、簡単にその人の見方が変わってしまう。好きだと思っていた人を、今までのように好意的には見られなくなってしまう。社会人になってから、そういうことが何度もあった。

自分がこんなにも他人の言葉に影響されてしまうことをようやく知った。そして、人が抱く「他人への評価」なんて、その人に見えている一側面にしか過ぎないのだということを知った。誰もが、「自分にとってのあの人」の評価を勝手に下し、それがその人の実像だと思い込んでいるだけなのだ。

当たり前のことだが、わたしにとっての素敵な人が、他の誰かにとってはちっとも素敵じゃないこともある。人は、相手が自分に見せてくれた面だけでしか人を評価できない。それなのに、自分が知り得た一部の情報だけを引き合いに出し、「あの人はこういう人だ」なんて簡単に決め付けてしまう。なんて勝手なことだろうと思う。

自分が受ける評価も同じことだ。社会に出て仕事をすれば、当然それに対しての評価を受けることになる。それは数字だったり、上司や先輩からの言葉だったり、お客さんからの声だったり、色々だ。この評価が低いと、まるで自分の働き全てが否定されたような気持ちになってしまうことがよくある。誰かに叱られて、心にダメージを受けて、自分は価値がない人間だとまで思ってしまうこともある。

でも、全くそんなことはないのだ。何かの点数が低かったとしても、それは「点数を付けたある項目」が低かったというだけ。誰かに怒られたとしても、別に自分の全人格が否定されたわけではない。その時必要だった何かが足りなかった、できなかった、それで相手が期待しているものを満たせなかった。それだけのことなのだ。

人は誰でも、自分の価値観や感覚によって人を評価する。会社内や社会全体で共有している大きな正義や正解があるとしても、一人ひとり、価値を感じるポイントはどうしてもバラバラだ。

だから、誰かに何か傷付くことを言われたところで、それを全て真に受けて落ち込む必要なんて全く無いのだ。その人はその人自身の価値観に照らしてわたしを勝手に評価しただけであって、その評価が真実なわけではない。評価なんて人によってバラバラで、そこに正解も不正解も無い。

こんなふうに思えるまで、わたしはけっこう時間がかかった。誰かの悪評を聞いてしまえば、自分が感じていた好感情にもすぐに翳りが生まれてしまうし、マイナスな感情をぶつけられた時には、全てをそのまま受け取って深くショックを受けてしまう。「素直」と言えば聞こえはいいが、「他人に左右されやすい」ことは決して良いこととは言えない。

多分今までのわたしは、「他人から受け取った意見の寄せ集め」を、「自分の意見」だと思い込んでいたのだと思う。学生時代は、似たような考え方や価値観の人達と交流することが多かったから、周りに「うんうん、そうだよね、わたしもそう思う」と同調するだけでほぼ良かった。ところが、社会ではそうはいかない。同じ場所で仕事をしていても、同じ価値観の人ばかりではないし、学生時代とは比べものにならないほど、本当にたくさんの人達に出会うことになる。

そんな中で、周りの意見に右往左往している自分に気付き、ようやく違和感を感じることができた。自分の意見とは一体何なんだろうと、初めて立ち止まって考えることができた。

社会に生きていたら、評価というものから逃れることはできない。それは誰かの糧になることもあれば、がんじがらめにして身動きを取れなくしてしまうこともある。だからこそ、わたしはこの「評価」という指標に左右されないようにしようと決めた。ともすればそれが「その人の全て」だと思い込んでしまう「他人の評価」は特にそうだ。そんなものを気にして自分の行動を狭めたり、付き合う相手を選んだりするのはばかげているとようやく悟った。それよりも、「自分がどう思うか」を大切にして、自分の人生を自分のために生きたい。

昔から、何かと人の目を気にして生きてきたわたしにとって、考え方を急に転換するのはなかなか難しい。でも、少しずつでもいいから、「他人に左右される生き方」ではなく、「自分が望む生き方」ができるようになりたい。そう考えられるようになっただけでも、わたしの社会人生活は無駄ではなかったのだと思える。

これから何度も不安にぶち当たるだろうし、挫折したくなることもたくさん経験するのだろう。でも、そうやって立ち止まったとき、「他人の評価」ではなくて「自分の思い」を優先できる自分でありたい。

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