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繊細で傷つきやすいこころを強くする一つの方法論【前置き編】

HSPとか、
憑依体質とか、
被暗示性の高さとか、
エンパスとか、
ATフィールド弱くて精神汚染とか、

対人関係過敏とか、
NOといえない日本人とか、
こじらせ女子(男子)とか、
自分で決められない症候群とか、、、

いろいろ表現型があると思いますが、

バウンダリーの障害、
という、切り口から考えてると、

愛着形成時期の不安定に起因すると思われる、
バウンダリーの障害(自他境界の形成不全)で、
大人になってから対人関係嗜癖のトラブルを引き寄せ、
こじらせ名人として事例化したもの。

というくくりで、
一つの説明をすることができる。

さらにこのパターンをこじらせていくと、
人に会うのがしんどい病、
社会や世の中がコワイコワイ病、

そして、学習性無力症から、
不登校や、社会的ひきこもり状態に進行していく。

これは、おかしい、
こころの病気じゃないかと気がついて、
心療内科や精神科に助けを求める頃には、
すでに神経系が慢性的にダウンして、

社交不安障害とか、気分変調症性障害とか、
双極II型障害とか、パーソナリティー障害とか、
なんらかの診断基準に当てはまり、
セロトニン系などの補助薬で援助することになっている。

しかし、もちろん、
あくまで薬物療法は神経系統レベルの援助であって、
本質的なところが変わっていないと、
セロトニン機能が調整されたところで、

また対人関係や人間社会に戻って行くかどうかは、
もっと、人生の本質的な何かに関わる、
別の位相の話なのだと思う。

それがごっちゃになっているのが、
精神科医療の現状。

※ 人生の本質的な何かに取り組むにしても、
最低限の神経系の回復がないと、
自分の意思や努力ではどうにもならない状態だから、
薬物療法を否定する話ではないですよ~v


では、本質的なところで回復していくには、どんな形があるか、
診察室での経験や、自分研究の気付きから振り返りますと、
2つの方向性があるように思います。

それは、変えられない自分を受け入れることと、
変えられる自分に取り組み続ける、という
一見矛盾した2つの方法論。


一つは、そのような自律神経系を持った、
標準偏差の端っこに位置するマイノリティな体質を、
情けなくて悔しい思いをしながらでも、認めて受け入れて、

メジャーな体質の人との比較を手放し、
本来の自分に合った環境やコミュニティーで、
対人関係を取り戻していくこと。

いつか必ずそんな仲間と出会えるはず。
そんなふうに幸せな、自分の人生を取り戻していく人がたくさんいる。
特に今の時代、インターネットがあるので、
仲間と出会える可能性には、すごくいい時代だと思う。

もう一つが、変えられる自分に取り組み続けること、
繊細で傷つきやすいこころを鍛えていくことを、
あきらめず前向きに取り組み続けることです。

この方向性をすすめるには、注意が必要です。

こんな自分、ダメだ、ダメだ、
もっと強くならなきゃ、嫌だ嫌だ、
という、自己否定の姿勢から自分を変えようとすると、
自己否定を指数関数的に増幅させ、ものすごく逆効果なので、
その思いが1ミリでもあれば、禁忌です。

自分を変える自己啓発本、セミナー、ブログ、セラピーなど、
それ自体はものすごくいいものだと思うのに、
激烈に悪化する人をたくさん経験してきましたよ。

また、セロトニン系などの神経系がそもそも枯渇している様態でも、
まず無理ですよね。
薬物療法をきっかけにするのも、良いと思います。


自己受容を前提として、先に進められる場合に、
いろいろな方法論で自分をチャレンジしていくことを、
あきらめないでいれるのは、いいな、と思います。

そうでないなら、一旦歩みをとめて、
とにかく自分いじめをやめる、
これに一点集中することです。

どんな自分でもいいけど、
自分ダメ、だけは絶対ダメです。

この論理矛盾は、真理だと思います。


さて、、ここからが、今朝、ふと思いついて
書きたかった本題だったのですが…(笑)

いつも、前置きだけで長くなっていくんですよね。
前置きを書いてたら、本題がなんだったか忘れて、
アップできなかったボツ文章が、
PCの中に沢山蓄積されていく…(笑)

本題、、なんとかまだ覚えてそうなので、
続きを次回につなげます。



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