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本音が言えない雰囲気はつまんない
いま、本音言ったら、
何を言っても、不謹慎~ってなるから、
なんか、つまんないですね。
情報発信や表現活動するのも、
不自由に感じてしまう。
周りのムードの中で、
自己表現も自制させられる感じが、
今感じてる窮屈さなんでしょうね。
世の中の空気に合わせる適応的なパーツ、
(๑•̀д•́๑)キリッ
自分の本音が感じる自分軸なパーツ、
(:3_ヽ)_ ポリポリ
どちらも、本当の自分で、
どちらも間違ってはいない。
社会生活を営むには両方必要で。
そのバランスや距離のとり方、
ソーシャルスキルも、
生きやすさの、ポイントですね。
例えば、
本音や愚痴は、
もちろん自分の大切な一部なので、
押し殺したら大変なことになるけど、
誰も彼もに、ばらまいても大変なことになる。
その兼ね合いが下手すぎると、めちゃくちゃ生きづらい。
そんな生きづらさを持つ当事者同士の、
当事者研究がヒントになる。 ↓
関係性の距離を自動認識して、
安全な付き合いをするには、
それなりの健全な対人関係スキルがいる。
(メンタルの人は、それを学習する機会が奪われていたことが多い)
話す相手を、選ぶ。
対人関係療法の、水島広子さんの図 ↓
本音や愚痴は、第一層の対人関係や、
その安全設定をしている場(例えば、診察室やグループワークなど)で、
話していくということですね。
本音が言えない雰囲気、つまんない!
とキャッチできるのは、ある意味、健全さですね。
その上で、本音が言える関係や繋がり、
そんな場を、大事にしていきたいですね。
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