ベトナム人はよく食べ物を残す~「もったいない」の真逆の国で
ベトナム人は食べ物をよく残す。ちょっとびっくりするぐらいよく残すし、ベトナム人自身の口からも「ベトナム人はよく食べ物を残す」と聞いたことがある。
これには、中国文化圏でみられる、「お客さんとして誰かの家に行った時にごちそうを全部食べしまうと『足りない』という意味になってしまう」という考えも関係ある気もする。しかし、「お招き」に限らず、普段自分で注文した店の食べ物を食べる時も、よく残す。
「もったいない文化圏」から来た私としては、はじめはなんだか心が痛む光景だった。
(ベトナムの一般的な家庭の食卓。イスやテーブルは使わず、タイル床に直座りで食べます)
ベトナム人はプラスチックをバンバン使う。持ち帰りやデリバリー文化がさかんで、小さな路上の屋台でもデリバリーアプリに登録しているほどデリバリーが定着しているということもあるが、とにかく、とんでもない量のプラスチックが毎日使い捨てられている。
おしゃれな若者向けカフェでは、紙や空心菜(!)のストローを使うこともあり、むしろ日本よりも時流に敏感な気もするが、圧倒的多数の地元のご飯屋さんがこんな状況なので、焼け石に水に感じる。
一度、ベトナムに駐在員としてきている日本のプラスチック業者の方と話したことがあるが、日本では需要が下がっているプラスチックが、ベトナムでは「売ってくれ」とせがまれるそうだ。
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こうしたベトナムの状況は、エコとかサステナビリティという時代の潮流から逆行しているように見える。
しかしやっぱり、エコとかサステナビリティというものも、20世紀に「発展」しきった北の先進国が、21世紀に慌てて言い出した「流行」「ファッション」「宗教」でしかないのかもしれない。
それを世界のトレンドだと言い出しても、南国には根本的なところでピンと来ていないのかもしれない。
■たくさん生まれて、たくさん死ぬ
ベトナムは元来、あまりに豊かだ。
どれぐらい豊かかと言うと、誰も世話していない路上の木に勝手に実がなって、ボトボト落ちるが誰も拾わず、バイクに轢かれまくっているぐらいだ。
ねずみもゴキブリも、そんな温暖で食糧豊かな環境で、ガンガン繁殖している。外を歩いてねずみを見かけない日はないし、そしてバイクに轢かれたねずみの死骸を見かけない日もない。
ついでに言うと、人も同じである。
妊婦を毎日のようにみるし、結婚式も、葬式も、毎週どこかしらで見かける。
路上に、尋常じゃないほどの生と死が転がっている。常夏の気候によって、あらゆるものの新陳代謝が早く、生も死もめまぐるしい。
日本よりよほど、「諸行無常」という言葉を思い起こすことが多い。
そんな世界では、考え方も変わってくる。
■永遠vs諸行無常
いくら北国が
「我々は、地球の資源が有限であることに気付いた。我々は資源を使い切りそうである。世界が一丸となって、資源の節約に取り組まないといけない」
と宣言したところで、南の国の人は、どこかしら無意識に
「は? 無限にあるし」
と思ってしまっているのではないか。
「でも、そんなこと言ったら人類は滅んでしまうよ?」
と思うかもしれなないが、確かにそうなのである。
彼らを見ていると、
「別に、滅んでもいいんじゃない?」
と、どこかしら無意識に思っている気がしてくる。
(平日午後6時ごろのホーチミン中心地。帰宅ラッシュ)
言ってしまえば、「永遠」とか「永続」というのも、ひとつのスローガンにすぎない。ベトナムではもっと、突き抜けた諸行無常が支配しているように感じる。
ちなみにベトナムの葬式でひたすら派手だ。遺影は電飾でギラギラに飾られ、戸口はパチンコ屋のオープンかと思うほどの花で埋め尽くされる。
ベトナム人にとって葬式は、新たな門出のお祝い、つまりめでたいことだし、「弔われる人が寂しくならないよう、楽しく盛り上げるべきだ」と考えられているのだ。
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対して思い出すのは、いつぞやネットで全編無料公開されていた、「100,000年後の安全」という、スウェーデンの核廃棄物格納施設に関するドキュメンタリー映画だ。(現在は全編無料公開は終わっており、下記はトレイラー)
核廃棄物は、地下深くまで埋められ、人体に無害になる時(100,000年後!)までそのままにしないといけない。だから、未来の人類(?)がうっかり掘り起こさないように警告を張り巡らせているのだが、それは現在の言語で書いても意味をなさないかもしれないから、絵、彫刻、あらゆる方法が使われている。
そんな核廃棄物保管施設がこの世にあること自体感慨深いものではあるが、それ以上に私は「この人たち、なんだかものすごいものを信じているな」と思った。そんな先のことまで考えて、真剣に何かを作っているのか……と。
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永続を射程に入れない生き方だって、もちろんある。あっていい。
100のリソースがあるとして、10使って、9回復して、細く長く生き延びようとするコミュニティもあれば、50を二度使って太く短く繁栄するのをよしとするコミュニティもある。
ベトナムがそうであるかは別として、そういう考え方は、あっていいはずなのだ。
■気に沿う、気に沿わない
日本では、私は、食事の際にはなるべく完食してきた。
「せっかく食べ物として生まれてきて、ものすごい時間とエネルギーを受けて育って、人の手で流通して調理され、やっと料理として私の前に現れたものを、私の気分や腹具合によってふいにしてしまうのは、あまりに申し訳ない」
と思い、なんなら米粒ひとつすら残さないほどきれいに食べる側の人間だった。
でも、ベトナムに来てからは割とよく残すようになった。
「この料理と、今の私は、気が沿わなかったんだな。食べ物の方だって、私の気に沿わずに無理やり食べられてもうれしくないだろうし、私の方だって、身体に合わぬものを無理やり食べても栄養にならないだろうし、ストレスだ」
「タイミングが合う時に、タイミングが合うものを食べよう」
と思うようになったのだ。
そして、タイミングというのは、サイコロを振りなおすように、またすぐ来るものだ、という考えになっている。
ベトナムは、あらゆるものの巡りが早い。
捨てた食べ物もあっという間に犬に食われ、土に返り、多すぎる日光と雨を受けてすくすく育ち、あっという間に流転し、また食べ物になる。
自分自身に対しても、似たようなことを思う。さすがに「今生はもういいや。来世に期待」と思うまでには振り切っていないのだが、「今の私とタイミングが合わないな」と思ったものはあっさり振って、タイミングがばっちり合うものだけを手に取るようになった。
本にいた時のように、チャンスだと思われるものに無理してしがみついたり、また、チャンスがどこかに落ちていないか血眼で探すようなことがなくなった。
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ケーキ屋さんで、ごていねいに入れてくれたプラスチックスプーンとフォークを店員さんに返しながら、私の頭にはめちゃめちゃな考えが浮かぶ。
今回の人類が、地球の気に沿わないのなら、私たちがちまちまプラスチックをケチろうが、なんだろうが、どうせ滅びるのだろう。
そして地球の「気に沿う」ニュー人類が現れるのだろう。
そういう、底の抜けた絶望のような、希望のようなものが通底している。
渋澤怜(@RayShibusawa)
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