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リズム

 

 誰しも文章を書くとその人特有のリズムが出るようです。僕もよく使う言葉であったり、言い回しも偏ってるなという気がしています。

 このリズムは、生き方にも現れると思います。理由は簡単。文章とはいわば言葉なわけで、言葉は思考を反映しているからです。文章のリズム=言語のリズム=思考のリズムとなり、生き方は一瞬一瞬の選択・思考の集積だからです。

 皆さんのリズムはどうでしょう。このリズムは、音楽的に言えば拍子のように一定である必要はありません。中国から伝わった日本の雅楽には、明確な拍子はありません。さらに音同士も区切られておらず、つながっているように聴こえます。

 一定の幅で区切るのでは無く、変化や重なり、繋がりを受け入れることが重要なのでしょう。江戸時代の日本には「百姓」という方たちが居ました。一般に百姓というと農作業のイメージが強いですが、彼らは農業一筋で生きていたわけではありません。自分たちで作った野菜をうまく料理しなければならないし、その野菜を売らなければならない。農作業用の道具も自分たちで作らなければならなかった。二足の草鞋なんていうのは当たり前だったのでしょう。一つの職業に固執することなく生活していた。

 今の僕らは、前から言われていることですが一つの会社に入れば生涯の半分以上をそこで過ごすことになります。今でこそ転職がビジネスになる時代になりましたが、それでもフットワーク軽く動けるような社会人の方はとても少ないと思います。

 流れ、変わり、重なり、繋がる。僕らの生のリズムは自分たちで変えられるはずです。知らないうちに「忙しいフリのリズム」だけを覚えてしまって疲れてしまうのはもったいない。一度立ち止まって、無理に呼吸を整えようとするのではなく焦る心臓を一度受け入れた上で、リズムを感じてみましょう。

 「今」に限定することなく「いつも」いい機会なんです。気がついたら始めましょう。気がつかなくても始めましょう。話はきっとそこから始まります。

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