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大丈夫、あなたも嫌われている

周りの人に嫌われたくない

人は自分の印象について
過剰に反応しがちです。

これって恐らく
今までの人類が
集団と共に進化してきており
家族以外の人とも協調しながら
進化してきたからとも
言えると思います。


要は他人と協調できた人間が
現世まで多く生き残ってきたということ。


ただ
間違ってはいけないことがある。

他人に貢献することと
他人の顔色を伺うのは
全く違うということ。

他人に貢献すること=自分→他人
他人の顔色を伺う事=自分←他人

矢印の方向が異なる。
つまり〝与える〟か〝奪う〟の違いがある。

〝嫌われたくない〟
とは、即ち相手から〝奪う〟行為で
相手のためになってないんですね。


そして
もっと言えば
誰からも嫌われたくないという
想いを叶えるのは
ほぼ無理です。

あなたは2対6対2の法則をご存知でしょうか。

これはどんな人でも
2割の人に好かれ
6割の人はどちらでもなく
2割の人には嫌われると言う法則です。

どんなに優秀だったり
気が効く人だったり
器が大きい人でも
2割は嫌われるということです。

確かに周りの人でも
この人は絶対に嫌われなさそうだなと
思っても
案外嫌われてたりすることないですか?

だからどう頑張ったって誰だって
2割の人には嫌われてるわけですよ。


ただそれでも私が1番言いたいのは
嫌われて何が困りますか?

たとえ、物凄く努力して
自分を嫌ってる人に多少好かれたとして
何が得られますか?

本当にやりたいことは何なのか?
そのことに費やす時間を削ってまで
嫌われない努力をすべきでしょうか?


それよりも
周りの目を気にしなくなる方が
楽だし自分のためになると思いません?

労力や時間を
嫌われてる2割の人に使うより
好かれてる2割の人に使う方が
私は有意義だし自分の満足度も高いと思います。

あなたのことを嫌っている人もいれば
あなたの存在を肯定してくれている人もいる。
なのにその大事な人の存在をつい忘れがちに
なってどうでも良いような人からの印象ばかり
気になってしまうんですよね。

信頼関係ができている親やパートナー、友人。
その人達さえ自分のことを
認めてくれていれば
十分すぎるはずなんですよね。


ただ間違っていけないのは
自分を嫌わっている人に対して
失礼なことをしていいわけではなくて
あくまで自分の信念に沿って
生きていきましょうよ!
そういう意味です。

他人があなたを
好きになるか
嫌いになるか
それは他人の課題(自由)なので
あなたが気にすることじゃないし
あなたのコントロールできる範疇じゃないですしね。


嫌われない努力をするより
好きでいてくれる人のために
労力や時間を使いましょう😉


どうでも良いですが
風邪をひいてしまい
2日更新が滞ってしまいました😷


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