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損得勘定で動く人ほど損をする話

身の回りにもいますよね。
行動や人間関係において
自分にとってメリットデメリットを考えて
メリットがあることが意思決定する上での
基準になっている人。

結論、そういう人には近づかない方がいいよ
って話をします。

損得勘定で動く人と一緒にいると
下手すればメンタルがやられますのでね。

その理由を説明していきます。

損得勘定で動く人はリスクを取らない

たとえば街中で女性が倒れていた時
もし心肺停止だった場合に
心臓マッサージやAED(街中においてある電気ショックを心臓に流して蘇生する機械)を
実施するかしないか?
を問われたとします。

ここで損得勘定で動く人は
AEDを装着する際に服を脱がしたり
心臓マッサージする際に胸に触れて
蘇生した後に訴えられるリスクを考えて
何もしないか
他人に任せる選択をする人だと思います。

救命しても
お金を得られるわけでもないのでね。
ましてや時間や労力も使うので
損か?得か?
と問われれば得ではないかもしれません。



そういう人と一緒にいて
楽しいですかね?
もっとこの人と一緒にいたいと思うでしょうか?

絶対に思いません。

理由はシンプルに
損得勘定の人は心の矢印が他人ではなく自分に向いてるって話ですね。

リスクを取らない人は学ばない

学びにもいろんな学びがあると思いますが
1番学びになるのは座学でも成功体験でもなく
失敗から学ぶ事が多いわけです。
卒なくこなすことに何の価値もないわけで
辛い経験があるから他人に優しくできるし
壁にぶち当たった経験があるから
他人に生きたアドバイスができる。

死にたくなるような嫌な経験をした人だからこそ
人として成長して大きな成功が訪れるのです。

つまりリスクをとって
何も行動しない人ほど損をしている。

1番の失敗は失敗しないことだと私は思うので
リスクを取る人ほど大損こいてるって
話なんですよね。

自分さえ生きていけるだけのお給料さえもらえれば
あとはどうでも良いと思っている人など
魅力のかけらも無いですからね。

世の中は持ちつ持たれつで成り立つ

先ほどの心肺蘇生の例え話にしても
もし自分の妻や母親、娘が
女性にAEDを使うのは抵抗があるから、と
蘇生することをためらわれて
救命されなかったらどうでしょう?

私が現場にいたとして
見知らぬ相手に蘇生後に訴えられたとしても
次また同じ場面に遭遇すれば
女性の服を切ってでもAED装着するでしょうし
そういうリスクを回避して
より大事なことを後回しにして生きるような
人間になりたくはないですよね。

世の中持ちつ持たれつで成り立つわけですが
自分が心肺停止に陥った時に
救命行為をしてほしいけど
状況によっては相手にはしない、では
持ちつ持たれつという考えは成り立ちません。

自分が仮に野球選手だとして
野球だけ頑張る事が社会に貢献することではなくて
日常生活の中で関わる人、社会との間で
常日頃どれだけギブできるか?なんですよ。

つまり持ちつ持たれつで成り立つこの世の中は
見返りを期待することではなくて
ギブ&ギブでいい
、という話なんです。

ギブしまくって損するかもしれない
と考えて何もしない人は
きっと社会から必要とされない
少なくとも私は必要としない
ってことです。

大きなリスクは取れなくても
自分にできる範囲で
自分にとって得がなくても
多少の損をしてでも
相手に対してできることを考える。

それが〝粋〟な生き方だと思います。

そんな〝粋〟な人ばかりでは無いこともわかっている

とはいえ世の中の人が
みんな〝粋〟な生き方をするようになることを
望んで相手を変えようとしても不毛なんですよね。

だから自分にできることは
・そういう〝粋〟な人になること
損得勘定で生きている人から離れること
だけなんです。

〝粋〟な人、損得勘定で生きる人というのは
二極化できないこともあって

粋な部分30%
損得勘定な部分70%

という人もいるでしょう。
あとはその割合を自分で変えていければ
結果として幸せに生きる事ができるんじゃね?
というお話でした😉


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