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帰省して気付いた、アメリカという国家のナラティブと遺産

こんにちは、Rayです。年末年始に実家のカリフォルニアに帰りました。

4年振りの帰省では父と西海岸沿いを旅行したり、小学校からの友人と母校を散歩したり、サンフランシスコで姉(長女)と5年ぶりくらいにまとも会話をしたりと、個人的にはかなり刺激的な日々を過ごしました。

さて、本記事では自分が改めてアメリカという故郷を見つめ直した時に得た気付きについて書いていきます。”ナラティブ(物語)”やら”レガシー(遺産)”やら、少し変わった言葉を使いますので、事前に下記に定義させてください。

物語(ものがたり)とは、主に人や事件などの一部始終について散文あるいは韻文で語られたものや書かれたもののことを指す。また現在「物語」という語は英語の「en:narrative ナラティブ」の訳語として用いられることもある(中略)。

人間の脳は物語に対応するように生物学的に配線されているため、物語を無視することは困難である。

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レガシー(legacy)とは、遺産。時代にそぐわないという意味で使われることもあるが、一般に伝統など良い物でも悪いものでも関係なく使われる。

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So, who are you?(あなたは誰?)

ポール・マッカートニーが大好きな父親と、最近は羽生結弦の追っかけをやっている母親との間に生まれたRayという者です。カリフォルニアに誕生し、日系アメリカ人としてシリコンバレーで幼少期・思春期を過ごしてきました。第一言語は英語ですが、ありがたいことに親が日本語教育に熱心だったためバイリンガルとして育つことができました。

15歳の時に日本に留学するチャンスを親から与えられ、気に入らなかったらアメリカに帰ればいいやと思っていたのに以後10年間日本に滞在することになるので、人生とは分からないものです。

なお、Rayは日英でも通じる名前、ミドルネームのLucasはキリスト教徒の両親が『ルカの福音書』にちなんでつけたそうです。さらにそれぞれ古フランス語のrai(光線)とラテン語のlucere(輝き)が語源なので、大層まぶしい名前ではありますが「あなたの死んだ目が素敵」と恋人が言ってくれるのだから子供の成長とは分からないものです。

コロナ禍真っ只中での帰省

さて、2017年の大学時代の交換留学以降、一度も実家に帰っていなかったこともあり4年振りの帰省を決意。カリフォルニアにて父+犬で過ごすことになりました(母は東京で祖母の介護)。

僕の父は日本の商社でビジネス経験を積んでから30代でアメリカに飛び込んだ猛者で、紆余曲折ありながらも10年前にようやく小さなコンサルティング会社を設立しました。70近い今でも現役で仕事しつつ、「Rayくん、空港到着後のプロトコルについて話しましょう」とLINEしてくれる素敵なおじさんです。

なお、ここからは真面目なことをつらつらと書いていきますが、政治や戦争等のトピックについても触れていくので、ヘビーな話が苦手な人はちょっとだけ心の準備をしていただいたほうが良いかもしれません。
※Keep it simpleということでだである調に切り替えさせていただきます。

シリコンバレーのIT企業がもたらした"遺産"は何か?

小学校から付き合いのある友人たち(母校にて撮影)。

ここではIT企業の聖地であるシリコンバレーが、僕の幼少期から現在までにもたらしたlegacy(遺産)について書いていく。
※一部前向きとは言えない考察もあるが、冒頭でも定義した通り"legacy"とは本来正負に関係なく「世代から世代に伝わるモノ」を表す言葉であるため、あえて日本語的な"負の遺産"とは形容しないことにする

1990-2000年代。僕らはSan Jose(サンノゼ市)というシリコンバレー最大の町で生まれ育ち、小さい頃からテック領域の熱をすぐ側で感じながら育ってきた。小学校1年生からタイピングの授業があり、高校からは(任意ではあるが)ロボティクス/プログラミングの授業を受けることができた。家では今は亡きMyspace(2000年代初期のFacebookのようなもの)でHTMLやCSSをいじりながら自分のプロフィールページをアレンジしたし、AOL Instant MessengerやSkypeで友達とチャットするのが放課後の楽しみだった。

そんな中、ふと気付けばGoogleもFacebookも超巨大企業になっていたし、AppleのiPhoneも世界を席巻していた。恐らく一部の勘のいい学生以外それらを特別に意識することはなくて、なぜかといえばGoogleで検索して、Facebookで友達のウォールに投稿して、iPhoneをジェイルブレイク(脱獄)した友達の自慢話を聞いたりするのは”普通”のことで、全てが生活に溶け込んでいたからだ。IT技術が普及することで学校教育は効率化され、人と人のコミュニケーションは活発化し、新たな職業も生まれた。シリコンバレーはアメリカンドリームを達成できる憧れの地として、世界中から脚光を浴びることになったのだ。

シリコンバレーにあるIT企業のPER及び時価総額(1995-2015年)

このように生活に彩りを与えてくれたテックカンパニー達だが、実は現在のアメリカでは業界に対してシニカルな意見が増えているという(友人の言葉を借りれば、"there's a growing cynicism towards tech")。

例えば、Instagramを使用する10代ユーザーの健康被害が指摘されていたり、Facebookのコンテンツモデレーターが日々残酷映像に晒されてPTSDを患ったり(動画の内容)など、莫大な利益の裏に隠された負の側面が明るみに出始めている。また、SNSの利用についても常に議論が進行しており、2020年にはGoogle・Facebook・Twitter各社のCEOが米国議会に召喚され検閲活動について聴取を受けている

これについてはトランプ前大統領がFacebook / YouTube / TwitterからBANされているのが良い例だ。リベラル派は危険性のある発言やフェイクニュースを規制したいと主張するが、保守派はそれらを情報規制ではないかと疑問を投げかける。誰もが平等に発言できるはずのSNSプラットフォームが、検閲を通して特定の政治団体に傾倒してよいのか?と。

また、過去にはGoogleがユーザーデータを香港に売っていたことも指摘されているが、日本では(少なくとも僕の周りでは)これらはあまり議論に上がらないトピックに感じる。むしろデジタルマーケティングの需要が伸びていることから、GAFAMを危険視する声よりは「巨人の肩に乗れ」と彼らの動きをウォッチし称賛していく動きの方が多いだろう。

もちろん、広告運用という仕事をしている自分もその恩恵を最大限に受けているし、GAFAMが僕らの生活に多大なる便益をもたらしていることは事実なので、一方的に非難するのはお門違いだ。けれども、業界内で話題にあがるCookieレス計測や検索語句データの消失も、結局は現地アメリカにおけるこうした議論を通して日本に渡っていくので、それらディスカッションが行われていることを”知る”、ただそれだけでも大きな価値があるのではないかと考えている。

見えざる敵は誰か ━ 戦死した高校時代の先輩の話

Pat Tillman (1976-2004)

911の同時多発テロ事件が起きた時、僕はまだ5歳で、それがアメリカ史を大きく変える出来事になるとは全く気付いていなかった。米軍のアフガニスタン侵攻も、いわゆるブッシュ大統領の"War on Terror(対テロ戦争)"にも、恥ずかしながら上の空で子供時代を過ごした。

しかし、ターバンを巻いてるだけの罪のない男性が射殺されるニュースをラジオで聞いたり、さらには数年後に通うことになる高校の卒業生Pat Tillmanがアフガニスタンで命を落としていたことを知って、当時の自分なりにも「戦争とは何か」そして「見えざる敵は誰か」について少しだけ考えるようになったことを覚えている。

日本に移住する前に2年だけ過ごしたLeland High Schoolを再訪問。
壁の裏には戦死したPatを称えたPat Tillman Stadiumがある。

20歳も離れているし、何しろアメリカなので日本的な「先輩」という距離感は全くないのだが、母校の卒業生が戦死しているというのは今振り返ってみると考えさせられるものがある。

Patは当時NFLで活躍するプロのアメフト選手だったが、911後に$3.6 millionのコントラクトを辞退して米陸軍に志願・入隊した。2年後の死を経てからは国を守ったヒーローとして祀られ、追悼式はアメリカ全土にテレビ放送されたが、しばらくして実際にはfriendly fire(友軍による誤射)で亡くなっていたことが発覚した。

当時のアメリカにとって、国民の中東地域への敵対心を強化し、自国への愛国心を鼓舞していくことは重要な国策の一つで、Patの命は国家的なナラティブ(物語)のために利用されたともいえる。結果的に真実が暴露されることで政府への不信感は募ることになった一方、一連のナラティブを通してイスラム教徒への差別が激化したのも事実だ。あれから20年が経ち、時代は少しずつ変わり始めたが、2020年は黒人のGeorge Floyd氏が白人警察官に殺され、2020年からはコロナウィルスを原因としたAsian hateが世界各地で発生するなど、形や対象は変わっても「見えざる敵」への差別・暴力は続いている。

Asian hate, NFT, Squid Game(イカゲーム)などについて書かれた高校の学校新聞。

アメリカンドリームとは「何者か」を目指す物語

僕は今ではアナグラム株式会社というところでコンサルタント・広告運用者として仕事をさせていただいており、運用型広告という画期的かつスピーディな手段でクライアントの商品・サービスを世の中に広めていくことに楽しみを覚えている。もっといえば、アナグラム(並びに運用型広告業界)を志望したそもそもの理由も、人生のミッションが「魅力的な体験・表現を通して他者に気付きや感動を与えたい」であり、それを達成するのみならず根幹となる「共感を生む活動(=集客)」について最速で学べる手法がデジタルマーケティングの運用型広告であると感じたからだ。

今でこそこんな大層なことが言えるようになったが、学生時代に社会学やコミュニケーション学(メディア研究)を専攻していた時は、良くも悪くも純粋な知的好奇心だけで学びの方向性を定めていて、将来のことなど全く考えていなかった。「ポストモダニズムとか物語の終焉ってかっこいい」というだけでウキウキ講義に出席していたし、終いには廃墟好きが興じてダークツーリズムについて卒業論文を執筆した。

卒業論文『近代化産業遺産とダークツーリズム』

しかし、特に当時は問題意識は感じていなかったのだが、アメリカに留学すると経済学メジャーやコンピュータサイエンスメジャーの友達に「Communications? What are you doing with your life?(コミュニケーション学?お前正気か?)」と言われていたことをよく覚えている。

ここで少し補足をすると、人類学を専攻してもコンサルティングファームに入れる日本とは異なり、アメリカでは大学時代の専攻がキャリアに直結する。もっと言えば、大学選びの段階から多くの学生が将来的なキャリアビジョンを描いており、海洋学者になりたいからA大学のマリンバイオロジーメジャー、プログラマーになりたいからB大学のコンピューターサイエンスメジャーといった具合に選ぶので、具体的に職業としてのイメージが湧きづらい社会学/コミュニケーション学を専攻している日本人の留学生が人生何やってんだと思われるのは当然なのである。

このことを現地の友人に話してみたところ、いわゆる「アメリカンドリーム」というナラティブが影響を及ぼしているのではと言っていた。Amazonの成功がガレージから始まったように、アメリカでは「無一文でも能力次第でビッグになれる」ことが幼少期の教育から刷り込まれている。「弁護士になれ」、「ドクターになれ」と言った具合に「何者かになれ」と言われて育つ子供が多く、STEM領域(Science, Technology, Engineering, Mathematics)以外の学問を専門分野としていた自分のような人間が「で、それ食えるの?」と疑問視されるのも理解できる。

今回色々ディスカッションしてくれた、留学時代からの友人たち。

また、ここからは僕の主観も混ざるが、「マーケター」や「広告営業」など、弁護士やドクターほど「何者」としての存在を比較的意識されていない職業も、「なんで?」と見られることも多いと感じる。

特に広告代理店で勤務していると「どうしてその業界で働いてるの?」という質問を受けることは何度かあり、これは他者を深く知ろうとするアメリカ人の特性という部分はあるかもしれないが、広告業界に対する風当たりが日本より少し強いことも影響しているのではないかと考える。人種・宗教・ジェンダーなどポリコレ(Political Correctness)の配慮に欠けた広告は徹底的にバッシングされるし、ユーザーデータの取得に敏感な彼らは「クリックしてないのに変な広告に追われてる。。。」というリターゲティング広告に関する議論・対策も日本より進んでいるようだ。

特に個人情報取得に関して特筆すべき点があるとすれば、アメリカは日本の個人情報保護法やヨーロッパのGDPRのような包括的な法律がないということだ。カリフォルニアのCCPAのように各州ごとの法令に依存しなければならないため、日本人以上にデータ取得に関して個々人のスタンスが求められていることも影響しているだろう。

もちろん、日本に住んでいても「広告代理店って激務なんでしょ」などネガティブな印象を持たれることは少なくない一方で、「華やか」、「クリエイティブな仕事ができそう」などポジティブな印象を持たれることもあるのでその点は米国とは異なるように思う。住む国が違えば同じ業界でも多少イメージが変わってくるのは当然だが、人種の多様性・法整備の状況・大学の役割などが影響していると知るのは面白い。

終わりに

今回は、下記の事項について考えをまとめてみました。

  • 巨大テック企業たちがもたらした社会的・政治的な遺産

  • テロリズムや人種差別が生む「見えざる敵」に纏わる物語

  • アメリカンドリームという物語が育む教育観やキャリア観

旅行では現地に目が向き、長期滞在では自国に目が向くといいますね。祖国とはいえ久しぶりにアメリカに帰省(旅行)をし、改めて自分にとって今まで当たり前だったものが、そうではないと気付けた実りのある旅でした。

さて、次に必然的に浮かんでくる質問が「じゃあ日本はどうなの?」というトピックですが、このあたりはまた別の機会に書きたいなと思います。むしろ、意見をください!

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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