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【2部】GWに5日断食したので食生活と反脆弱性について考える

こんにちは、Rayです。前回はGW中に行った5日断食について書きました。結果としては神とも繋がれず、ショートスリーパーにもなれなかったのですが、肉体的・精神的には覚醒できたので良しとします。

「難しいことはいいから、5日断食するとどうなっちゃうの!?」だけを知りたい方は、下記の1部パートだけでも良いので読んでみてくださいね。

さて、今回は断食というテーマと一緒に、ナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性―不確実な世界を生き延びる唯一の考え方』を読み解いていきます!

前回より少し真面目な内容になっておりますが、時折ChatGPTのチカラを借りながらなるべくわかりやすく解説しますね🤖


反脆弱性(anti-fragility)とは?

まず、キーとなる概念について。タレブは本書で「脆弱」「頑健」「反脆弱」という3つの概念を提唱しています。超簡単に要約すると、衝撃やランダム性に対して弱いか・動じないか・むしろ糧にするか、という話です。それぞれ下記の定義になります(例は筆者)。

▼脆弱・脆い
--- 衝撃や無秩序に弱い。間違いは殆ど起きないが、起きると巨大である。
例:ガラスのコップ、失敗を恐れる(完璧主義者)、中央集権国家、官僚

▼頑健
--- 何事にも動じない。衝撃やランダム性に耐え、現状をキープする。
例:自動車、石造建築、失敗する

▼反脆弱・反脆い(はんもろい)
--- 衝撃や無秩序を糧にする。間違いはしょっちゅう起こるが、小さい。
例:筋肉、木造建築、失敗を好む、地方分権国家、起業家、ワイン

「筋肉」と挙げましたが、有機物は大抵反脆いです。例えば僕は先日ボルダリングで左手に豆ができて痛かったのですが、数日後にはこいつが充分に固くなり、次回期待されうる衝撃から僕を守ってくれます。

また、勘の良い方は既にお気づきかもしれませんが、脆弱か反脆弱は相対的なものです。筋肉の例でいえば人間は筋トレをして超回復するので一定レベルの衝撃には反脆い一方で、隕石が降ってくれば衝撃が強すぎて死んでしまうので脆いといえます。
※さらに突っ込んだことをいえば、隕石で人類が滅んでも新たな生命が地球を支配するので、「生命」自体は反脆弱であるともいえます。

論理的にいえば、「脆い(壊れやすい)」荷物の正反対は、「取扱不注意」「乱暴にお取り扱いください」と書かれた荷物ということになる。この小包は、中身が壊れないだけではない。衝撃や乱暴な扱いを受けることがかえってプラスになるのだ。

『反脆弱性』―ナシーム・ニコラス・タレブ

食生活と反脆弱性

今回5日断食を通して、僕は食生活にも脆弱・頑健・反脆弱があるな~と思いました。詳しくおしえてChatGPT!

プロンプトは僕が敬愛するアナグラム小山さんから拝借

独身時代の僕はかなり脆弱な食生活を送っていたと思います。マクドナルド大好き、コーラ大好き、コーヒーでガンギマリして夜遅くまで働いて、朝食・昼食もコンビニで済ます。

妻と出会ってからはおかげさまでかなり改善されましたが、それでもやっぱり外食は行きたくなるし、3食お腹いっぱい食べがち🍚塩分を控えるなど以前より健康に気を使うようにはなりましたが、それでも僕は"頑健止まり"のようです。もう少しだけあえて小さなストレスを取り入れることで、さらに健康になれるのかもしれません。

もちろん断食をして食生活にランダム性を取り入れたからといって、100%反脆弱になるとも、健康になるとも限りません。でも、僕は今回5日断食を経て下記の2点を確信しました。

・自分は飽食の時代に生きている
・定期的な断食は(僕のカラダには)ポジティブな影響を与える

少なくとも、反脆弱な食生活を送るためのヒントは得られたんじゃないかな?と思っています。

一日3食が始まったのは江戸時代から

以前から、「そもそも人間って3食食べるようになったり、バランスのいい食事を摂るようになったのってここ100年くらいの話では?」という疑問を抱いていました。

実際、日本で一日3食の習慣が定着したのは江戸時代以降だったと言われています。

ちなみに、日本で一日3食の習慣が広まったのは、比較的最近のことです。そのきっかけについては、「江戸時代初期の明暦の大火(1657年)の際に、復興にあたった大工や職人に、江戸幕府が朝と夜だけでなく、昼食も提供したから」「江戸時代後期に明かりが普及して、一日の活動時間が延びたから」「明治維新後、政府が軍隊に一日3食提供したから」など諸説ありますが、いずれにせよ江戸時代までは、武士や、大工などの肉体労働者以外は、一日2食が一般的だったようです。

『「空腹」こそ最強のクスリ』―青木厚

「あなたは誰かに太らされている」というキャッチコピーが印象的だった『果糖中毒』という本がありますが、たしかに人類はここ数百年で飢餓を乗り越え安定的な食料供給を実現したにもかかわらず、これまでにない規模で大量の肥満症・糖尿病・高血圧患者が病院送りになっています。

僕の場合は酵素を飲みながらではありつつ、実質5日間何も食べなくても平気だったことを踏まえると、「あれ、普段の自分って食べすぎてたんだな」と妙に納得してしまいました。

規則的かつバランスの良い食事は"頑健止まり"

書籍『反脆弱性』では、人間が雑食動物に進化したのは食料供給のランダム性が前提にあるとも指摘しています。

だが、人間がそのような雑食性を手に入れたのは、食料の供給が不安定で、ランダムで、しかも断続的であるという、多様な環境に対応するためだった。食べ物の特化が、急激な変化のない非常に安定した生息環境に対応するためのものだとしたら、食べ物の入手経路の冗長化は、より多様な生息環境に対応するためのものだ。

『反脆弱性』―ナシーム・ニコラス・タレブ

肉しか食べられない、植物しか食べられない動物と比べると人間は幾分かリスクヘッジができるように進化した一方で、それはそうせざるを得ない状況の方が長かった=食生活を多様化しないと種が存続できないほど、食事の摂取頻度や摂取対象がランダムだったことに起因します。つまり、人間にとって規則的かつバランスのある食事は、脆さから脱却できているにしても"頑健止まり"であり、不健康ではないにしても100%自然な状態でもないと言えます。

だから、人間に"バランスの取れた"栄養の組み合わせが必要だとしても、断続的ではなく毎食そのバランスで栄養をとるべきだと即断するのは間違っている。炭水化物、タンパク質、脂肪など、現在知られている色々な栄養素を平均で一定量とる必要があるとしても、ステーキ、サラダ、新鮮な果物を毎食欠かさずとるのと、それぞれをかわりばんこに食べるのとでは、大きな違いがある。

『反脆弱性』―ナシーム・ニコラス・タレブ

もちろん、現代人として生きる上で「今日は1日の通常摂取量の3倍のタンパク質を摂って、残り2日は野菜だけにしよう!」など極端かつ徹底したランダム性を食生活に取り入れることは不可能ですし、あくまで上記はタレブが提案してる一つの考えに過ぎません。でも、厳しい減量を行うボディビルダーが時折チートデイを設けて代謝を上げるように、そしてたまの断食でカラダがオートファジーを通して栄養源を作り出すように、適度に非線形的=ランダム性を取り入れた食生活にメリットがあるのも事実なのかもしれませんね。

ちなみにタレブ自身もレバノンでギリシア正教者として生まれ、定期的に断食を行っています。有言実行ですね。

オプション性:アップサイドとダウンサイド

もう一つ、「オプション性」という新しいキーワードを紹介します。

意味はとても簡単で、「オプション(選択肢)の豊かさ・乏しさ」を表す指標です。さらに突っ込んでいえば、タレブは本書では「不確実性によって被るダウンサイドより、不確実性によって得られるアップサイドの方が大きいか」もオプション性の条件としています。

ちょっとむずかしいので。ここでもChatGPTのチカラを借りてわかりやすい例を上げてもらいましょう🤖ピポパポ…

終わりの見えない長期契約をしたり、専門領域を特化しすぎるとオプション性がなくなる、というのはわかりやすい例ですね。

食生活で考えてみましょう。僕は「断食のある食生活」にはオプション性があると考えます。なぜなら、ランダムといえどもいつでも自分の健康状態に応じて期間や頻度を調整できるし、一時的な頭痛や疲労感などのダウンサイドももちろんあるけれど、痩せる・集中力が上がる・食事に感謝できるなどアップサイドのほうが望めるからです。

逆に、継続的にお腹いっぱいに食べる「飽食」にはオプション性はあまりないかもしれませんね。満腹感は幸せですが一過性だし、適度な運動がなければ健康リスクがどんどん高まるというダウンサイドが待っています。また、医者に叱られれば将来食べられる食事の選択肢も必然的に減っていくし、病気に対して脆くなる。僕も気をつけないとです。

強調したいのは、何も3食食べること・お腹いっぱい食べることが悪いと言っているわけではないです。「たくさん食べて幸せになるのと同じもしくはそれ以上に、たまに断食するメリットも結構あるよ」、そんなレベル感で認識してもらえると嬉しいです。

反脆弱な日常生活を送るには

「オプション性がある」という状態は、反脆さを手に入れるための条件だったりもします。

ランダムな事象(や一定の衝撃)によるダウンサイド(潜在的損失)よりもアップサイド(潜在的利得)のほうが大きいものは反脆い。その逆のものは脆い。

『反脆弱性』―ナシーム・ニコラス・タレブ

皆さんの日常生活の中で、不規則性が薬になったり、ダウンサイドが限られていてアップサイドが無限な活動はなんでしょうか?断食はちょっと敷居が高いかもしれませんが、下記なら今日から実行できますね。

▼人脈づくり
最悪時間が無駄になったり恥かいて終わるだけだが、素敵な友人やビジネスパートナーに出会えるなどアップサイドが無限

▼多読
短期的な時間は失うが得られる知識と疑似経験などは無限

▼小さい失敗の繰り返し
一つひとつはかすり傷程度だが、いずれ大きな成功に繋がる

ちなみに僕は最近、「毎日新しいことをする」にハマってます。コンビニでアイスを買う時も、行きつけのカフェで注文をする時も、なるべく頼んだことがない奴を頼んででみる。正直70%くらいの確率で後悔するんですが(笑)、ダウンサイドは数百円です。残り30%で感動的な商品に出会えれば、それはアップサイドが無限といえるのではないでしょうか。

おわりに:幸福は引き算である

断食を通して学んだことの一つに、"幸福は引き算である"ということがあります。第1部の「精神的・肉体的に覚醒する」パートにて、僕はこう言いました。

七つの大罪に暴飲暴食がありますが、食事を断つことによって自分が食事過多のみならず情報過多・思考過多=雑念過多だったことにも気づき、それが洗い流されていく感覚になりました。

【1部】GWに5日断食したので食生活と反脆弱性について考える | note - Ray Lucas

糖分もデータも、過剰に存在すると害を及ぼす。少なすぎてもダメだが、多すぎてもダメ。僕はデジタルマーケの仕事をしているのですが、反脆弱性という概念を知り始めてからは「意思決定に関係ないデータはあえて無視する」という方針を取るようになりました。目的はデータを見ることではなく、成果を出すこと。

また、僕は今でも16時間断食を続けています。朝ごはんを抜いて、昼と夜を少し多めに食べて、しっかり胃腸を休めるということですね。もちろん、たまに少し抜いたりチートデイ入れたり、適宜ランダム性を取り入れるなど実験中です🧪

最後に、タレブ自身が幸せについて考えている部分を引用します。

そして、同じ年代のルパート・マードックやウォーレン・バフェットのような、洋なし体型の億万長者を見ていると、いやおうなしにこんな考えが浮かんでくる。真の豊かさが、安らかな眠り、清らかな心、感謝のやり取り、妬みとの無縁、旺盛な食欲、強い筋力、エネルギッシュな身体、頻繁な笑い、仲間との食事、ジム通いのない生活、適度な運動(や趣味)、快便、会議室との別離、たまの驚きだとしたら、豊かさはほとんど引き算(医原病の排除) で成り立っているのだ。

『反脆弱性』―ナシーム・ニコラス・タレブ

今回は自身の断食経験と、書籍『反脆弱性』から学んだ内容を照らし合わせて思考を巡らせてみました。

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