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いきたくない。でも全然いいんだよ。

昨年のこと。不登校自立支援に取り組む宮崎県「立花高校」の齋藤眞人校長先生のお話を聞くことができました。

短い時間の中で、響いた言葉がたくさんあります。


「今までよくがんばったね」

「命としてそこに存在しているだけで100点満点」


「社会があなたに追いつくまで引きこもりなっしぇ」(宮崎弁)


「できることはあたりまえじゃない」


「君たちに振り回されることが僕らは嬉しい」


「やりたい時、行きたい時がタイミング」


「こんなに無理させてごめんね」


― お母さん達へ ―

「今の自分で今のままで子どもたちと接してください」

「できないことを嘆くより、できていることを認め合う。それがこの学校の理念です。」

「ぼくは達観した大人が信じられません。何が正解なんて誰にも分かりません。分からないことが普通なことです。」

「自分ががんばっていることは自分では気が付かない」

「子どもたちは自分が学校へ行かないことよりも、自分が学校に行けないことでお母さんが困っていることに苦しむ。そしてその事でお母さんがお父さんに怒られていることに苦しむんです。」

「みんなお母さんが大好きです。」

「学校は同じであることを求めるのではなく、違いを学ぶ場所。弱音を吐き、助けてと言い合える社会を作るのが私たちの役目。」

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「時間が守れない」「いつも遅刻して人に迷惑をかける」とレッテルを貼られて不登校になった子どもたちの話

本人たちは一生懸命なのに、図形認識が苦手で針時計(アナログ時計)が読めないことで時間の概念がない(LDという学習障害のひとつ)

立花高校では全教室にアナログ時計とデジタル時計の両方がかけられ、発達障害を 「特異性」「天才性」として認めています。

誰にでも苦手なことはある。でもそれは見方を変えれば隠れた才能でもあります

私の息子も漢字を書く、算数が極端に苦手で、時計が読めません。


そういう子どもたち、大人たちが「時間を守れないルーズな人」「周りに迷惑をかける人」などと責められることのない世界を私たちは創造していく。


それらの子たちはカタチを認識するのが難しい代わりに、構造や物事の全体像を理解したり、"空間的な情報処理"が得意なため運動が得意であったり、物事の"背景を理解"する力に長けています。



そのためプラモデルやブロック、プロブラミング性のあるゲーム(マインクラフトなど)も大好きです。


ひとつのことから多くの情報を得る才能があり、絵や図形で表現することが得意という子もいます。


学習に苦手や時間はかかるものの、覚えてしまうと記憶する力も優れているため社会でも立派に活躍できます。


自分の得意不得意を知り、どんな自分も丸ごと認めること。

"義務教育"は「学校へ行かせないといけない」という義務だと多くの親が思い込んでいるそう。

親は"子どもたちに教育(学び)の機会を与える"という義務なので、場所は家でも、フリースクールでも、公園でも、どこであってもいい。

「あなたは可愛い誰かの子ども。」

選択肢は無数にある。親が安心すれば子どもたちも自然と歩き出すことができます。

さらに風の時代は多様性の時代。
親たちが果たすべきことは柔軟に想像力を働かせ、これまでの古い価値観から脱却し新しい世の中をつくる。


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⁡「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」
(If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.)⁡
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⁡という言葉があるのだそう。⁡
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⁡みんなで歩いてる。今はそんな気分。⁡

最後まで読んでくださりありがとうございます。今日もあなたにとって素敵な一日でありますように🍀♡*・゚


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