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川根本町1|静かなところへ

紀行エッセイ「漂々」
2021.9 - 2022.12 都内広告代理店に勤めるサラリーマン1年生が、日本のローカルをめぐる旅のエッセイ。生活の拠点としては住まいのサブスクサービスADDressを活用しています。なお、このエッセイは20代半ばの一人間の精神史のスケッチを第一義として書かれています。あらかじめご了承ください。

一昨日、二〇二一年が暮れ、昨日、二〇二二年が明けた。今日、僕は実家のある横浜から静岡県へ向かう。静岡県のとある山奥の町へ向かう。

僕にはひとつの予感があった。新しい年を、その町から始めなければならない。そうしなければ、僕はどこにもたどり着けないし、僕のある部分は永遠に失われてさえしまうかもしれない。そういう、からだ中の筋をキュゥっと絞り上げるような、圧のある予感があった。

その町には、かつていちども行ったことはなかった。今回が初めてである。それどころか、つい数日前まで知らなかったくらいだ。でもこれは仕方のないことだったと思う。だって、静岡県の山奥にある町なのだ。その町があるのは静岡県の山奥なのだ。静岡県の山奥? 率直に言って、これはちょっとした語義矛盾である。静岡県には海岸線しかないはずだった。東海道新幹線に乗っていても、東名高速を運転していても、太平洋がすぐ脇まで迫っている。熱海も、沼津も、静岡も、焼津も、すべて海沿いにある。たしかに掛川あたりはやや内陸だが、新幹線なら確実に寝ている区間だし、車だとしても景色を楽しむくだりは他で済ませてしまっているので、知る由もない。山の気配は遠いし、かりに近くても、なけなしの注意力は奥にそびえる富士山にすべてかき寄せられてしまう。というわけなので、お隣の神奈川県民の僕には、静岡県の山奥というのは——こうやって言うことに悪気はないし、そもそも結局のところ自分の世界が狭かったからなのだけれども、でもやっぱり——ちょっとした語義矛盾だった。鈍足のチーター、団子鼻のゾウと同じだ。見つけたらまず目を疑う。

僕がその町を知ったのは、ADDressの家を探しているときだ。家の場所として書かれてある見慣れない町の名を見つけ、地図で位置を調べたのだ(そしてもちろん目を疑った)。

一帯の山とそれらを覆う森。その緑のなかを一本の川が這っている。その川は気ままに太さを変え、あちこちで散漫にうねっている。まるで粗い石板に刻まれたアラビア文字のような景観だ。そしてアラビア文字の周囲にやたらとたくさん散っている点のように、川が拓いた狭隘な山間に家々がぱらぱらと身を寄せている。この川が、地を這う根っこのように見えたのだろうか。町の名を川根本町という。県から辿れば、静岡県榛原郡川根本町という。

静岡県の山奥、川根本町。ここに行きたい。直観的に強くそう思った。知っているのは、ちょっとした語義矛盾と、アラビア文字的景観の印象だけ。でもそれさえあれば十分だ。陽気さがときに気に障る海辺から遠く、執拗で騒がしい文明からも遠いことは確かだ。きっと静かなところだろう。静岡県の、静かなところ。うん、整った。ここに行きたい。僕はそう思った。これが二〇二一年の暮れ。年越しまであと一週間くらいの頃。

そして、年内最後の一週間。その期間で、僕の川根への感情は変質した。つまり「行きたい」から「行かなければならない」へと。「新しい年を川根から始めなければならない」へと。

変質のワケは単純だ。静けさである。僕に静けさが必要になったのだ。存在の根源的な層において静けさが必要になったのである。それがなぜかと言えば、これも単純だ。騒がしさである。年末の首都圏を覆う騒がしさである。

騒がしさについて書く。

騒がしさを説明することは、そう難しいことではない。新宿の街を想像してごらん。そのひとことだけで良いのだ。朝八時の小田急線プラットフォーム(人が苛立っている)、昼十三時の立ち食い蕎麦屋(人が詰めかけている)、夜八時のJR南口(人が歌っている)、夜十一時の歌舞伎町(人が暴れている)、朝四時の新宿アルタ前の広場(人が倒れている)。何時の何処をとっても騒がしい。うん、思い浮かべただけで、心が毛羽立ってきた。巨大で粗暴な都会的ノイズだ。年末に僕は横浜の実家に戻っていて、いくつかの用事で都内に足を運んだ。そして、その類の騒がしさを全身に浴びた。地方でひと月ほど暮らした後だからだろうか、それはグロテスクな印象さえ僕に与えた。

僕が静けさを求めるきっかけとなった騒がしさも、おそらく都会的ノイズの一種だと思う。でもそれは聴覚を経由するノイズではない。それは空間自体を満たし揺らす巨大なノイズでもない。もっとダイレクトでミクロなノイズだ。それは、会話する相手と自分をつなぐ精神的交信回路に現れる。それは、ある種の目つきとして現れる。

積極的な動機を求める目つき。あるいは確固たる計画を求める目つき。これが僕の感じた騒がしさの正体だ。

久々の友人と会う。「最近旅してるんだって?」そうそう。旅と言っていいか分からないけど。「どんな感じなの?」日本のいろんなところを知ることができて楽しいよ。「いいね。どうして始めたの?」期待だけを滲ませるその目つきに僕は差し出せるものをもたない。単にいままでの場所にいたくないっていうのが大きいんだ。

もっと距離の近しい人と会う。「北陸どうだった?」燕というところで職人たちと話せたんだ。あと冬の北陸はもうこりごりかもしれない。「ねぇ、旅はいつまでの予定?」うん、まだ決めてないんだ。「旅をして何になりたいの?」答えだけを迫るその目つきに僕は差し出せるものをもたない。いまはまだ何かを決断できる状態に至っていないんだ。

僕は曖昧にごまかすしかない。あるいは、情けなく押し黙るしかない。結局のところ、俺は無目的に彷徨っている半端ものなのだ。彼らの目つきはその事実を突きつける。僕の精神はひどく消耗してしまう。彼らの目つきはダイレクトかつミクロなノイズなのだ。彼らの目つきが意図せず孕むそのイノセントなノイズに、僕は対処する術を持たないのだ。

でも結局のところそれは仕方のないことだった。僕には答えなんてなかったんだから。積極的な動機も、確固たる計画もほとんどなかったんだから。

天秤の均衡を保つこと。これが当時の僕が唯一注意を払っていたことだ。左の皿にはどっしりとした重りがひとつ載っている。ラベルにはどっしりとした明朝体ボールドで「広告代理店勤務」と書かれている。有無を言わさぬ存在感があり、見るものの目を奪う光沢を放っている。一方で、右の皿には小ぶりの重りがいくつか雑多に散らばって載っている。各々のラベルに書かれた文字はいずれも走り書きでかすれているし、形も不ぞろいだ。でも、なんというか、うん、悪くない重りたちだ。学生のころの地方滞在や、ここ半年ほどの旅暮らし、そしてその他いくつかの経験を経て、こつこつ拾い集めてきた重りたちだ。やっと左の重りと釣り合うあたりまでになってきた。僕はいったんその均衡を保つ。焦ってはいけない。ここから先は加えるひとつひとつの重りが重要な意味をもつ。不注意のせいで均衡を一気に崩してしまっては、どちらかの皿の重りが宙に飛び散ってしまう。飛び散って、地に落ちて、割れてしまう。それでは取り返しがつかない。でももちろん、僕は分かっている。均衡を崩すときはいずれ訪れなければならない。これは実験ではなくて人生だ。計量だけでは前進しない。でもやはり焦りすぎてはいけない。

というわけで、僕にとって急かすものはすべてノイズだったのだ。そして年末の首都圏はノイズだらけだった。

というわけで、僕はノイズのないところ、つまり静かなところへ行かなければならなかった。その静かなところというのが、静岡県の山奥、川根本町というわけである。

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