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知冬のからだ

知冬のからだ

短編小説

◇◇◇

 1

 そして知冬は、ぼくが見ている前でチャコールグレーの手袋を脱いだのだった。ぼくはこのとき、どんな表情をしていたのだろう。自分のことながら、今もって思い出すことができない。ぼくは、手袋の下から現れた彼女の手を見ていた。現れるはずだった手を見ていた。現れるべきところに現れているはずの手を。見えていないのに見ようとしていた。

 2

 知冬が手袋を脱ぐその三十分前、ぼくら

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小説:花色の忘却/全文【15085文字】

小説:花色の忘却/全文【15085文字】

春  薄くぼんやりと曇った土曜日。あっという間に散った桜が終わった途端、気温の高い日が続いている。

 私はいつものバス停で、いつも通り少しだけ早く家を出て、背中越しにピアノの音を聞いている。それは、Jの奏でる旋律。私の少し汗ばんだ背中から、痩せた背筋を抜けて、背骨の中心を通って、肋骨に響き、胸の真ん中に届く。私の情緒を落ち着かせる、静かな安寧。

 Jのピアノを初めて聴いたのは去年の春だった。バ

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