向こうへどんどん遠去かる
どんどん向こうへ遠去かっていく人の後ろ姿にひどく惹かれることがある。なぜだろう。
映画「ブラザーサン、シスタームーン」のラストシーン。主人公の修道士が丘の上に立ち、こちらに背を向けた両足首あたりがアップで映し出される。そして歩き出すと、彼はエンディングロールの向こう側へどんどん遠去かっていく。神が示し給うた場所に向かって何もない荒野を進むのだ、というような迷いのない足取りで。スクリーンが暗くなる頃にはもうだいぶ遠くを歩いていて、やがてスクリーンには何も映らなくなる。なにが気に入ったのか自分でもよくわからない。「ああ、もうあんなに遠くまで行ってしまった」と思いながら、私はテープを巻き戻して(この頃はビデオだった)このラストシーンだけを何度も繰り返し見た。
1960年代後半、小学生だった私は3歳年上のお姉ちゃんのいる友だちの影響で「ザ・タイガース」に夢中になった。ボーカルのジュリーこと沢田研二もさることながら、ドラムスの小柄でかわいいピーこと瞳みのるも大好きだった。あれから半世紀がたち、ネットで当時のザ・タイガースの映像や画像が見られるようになった。その中に、髪を長く伸ばし、ジーンズにTシャツ姿のピーが向こうへ歩いて行く写真があった。たくさんある若い頃の写真の中で、私は後ろ姿のこの写真がいちばん好きだった。その後ろ姿には迷いも不安もなくて、これから行く先には夢と希望だけがあると信じて疑っていないように見えた。
やはり1960年代後半、20代半ばのボブ・ディランは、How many roads must a man walk down before you call him a man? と歌った。若いディランはmanになるまでにどれだけ旅をしたのだろう。帽子をかぶり黒っぽいジャケットを着てギターを背負ったディランがひとり荒野を行く姿が頭に浮かんでくる。だけど、行く先なんて決まっていなかっただろう。そのあとどんな人生を送るかなんて全くわからなかったはずだ。夢や希望や若さゆえの傲慢さにあと押しされて歩いていたのだろうか。きっと後ろを振り返ることはなかっただろう。やがてmanと呼ばれるようになったとき、ディランの後ろ姿はどう見えただろう。
今から1400年も前。額田王は月夜に船出する若者たちに向かって、「月も出た。潮も満ちた。さあ、大海原に漕ぎ出そう!」と声をかける。砂浜に立って男たちの船出を見送るのではない。自ら船の舳先に立って男たちを鼓舞しつつ大海原の冒険の旅に乗り出すのだ・・・これは私の想像だけれど。月あかりに反射する大海原に船出する額田王の、しなやかで凛とした後ろ姿を想像するとほれぼれする。
若者の後ろ姿は美しい。不安や恐れがあったとしても傲慢さの陰に隠れてしまう。そして、みんなまっすぐ前を見てそれぞれの道を進んで行く。だからその後ろ姿は迷いなくどんどん遠去かっていき、私は置いて行かれる。それは寂しいことのはずなのに、寂しくないのはなぜだろう。私にもかつて、前だけを見てそれまでいた場所を振り返りもせず、遠去かってきたことがあった。だからだろうか。
若者の後ろ姿をみていて胸がすくように感じるのは、自分を信じて行きたいところに向かっていく姿に一瞬のきらめきを感じるからだ。そして、あとに残していく人の寂しさなんて考えてもみない傲慢さと残酷さが美しいからだ。その美しさは人生の挫折を知ったときにあっけなく消えていくはかないものだが、だからこそいいのだろうな。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote:
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