棚田のある風景:里山再生プロジェクト①
友田家住宅とカネさん
ご近所の国指定文化財の友田家住宅の、
47代目当主のお嫁にきたカネさん。
嫁入り当時は、庄屋のお嬢様で畑仕事なんかしたことなかったと言う。
「はぁ、大変だったよぉ。教えてもらいながらやったの」
「嫁入り修行だって、お針やお花なんかやったけど、こっちじゃ全然よ」
斜面の畑を耕すのがいかに大変かと言う話や、
山奥の炭小屋から、焼いた炭を二俵も担いで下山した話や、
本人はあっけらかんと笑いながら話す。
大変でしたね、と月並みな返事しか出来ない。
「男の人は厳しかったよぉ。なんでこんなこと出来ないんだって」
「でもね、嫁っこ、嫁っこって、可愛がってもらったよ」
カネさんの思い出は、ちょっと話を聞いただけじゃ、
うかがい知れない歴史を感じさせる。
細かいことをよく覚えていて、記憶力が良い。
ここは昔、田んぼだった
「この家には大勢の人が働いててね、
男衆の家まであった。看護婦まで住み込んでたよ」
カネさんの話はお嫁に来た当時のことでも、
20年前のことでも、数年前のことでも、
つい昨日のことのように話す。
「そっちの駐車場は、昔大きくて平らな田んぼだったよ。
こっちの小さな田んぼは残ってるけど…
全部手でやったから、えらかったよぉ」
“えらい”というのは、遠州弁で“大変”という意味。
そこは、子供用プールサイズの田んぼが段々と連なった小さな棚田。
でもススキが一面に茂っていて、田んぼの面影はなかった。
彼女がお嫁に来てから5〜6年稲作をやった後、
それぞれの分家に2〜3枚ずつ分け与えられたそうだ。
最後に田んぼだったのは、もう20年以上前のことと予想される。
田んぼやります!
昔はこうだった、という話を聞くといつも、
あるアーティストの言葉を思い出す。
「昔、この川はきれいだった。じゃなくて、
自分の子どもに『この川は汚かったけど、俺たちがきれいにしたんだ』
って言いたい」
子どもの頃から大人たちから聞かされるのは、
「この川はきれいだった」「この海はきれいだった」「この村には活気があった」
昔は良かった云々...そんな美談はもうお腹いっぱい。
自分が大人になった今、出来ることなら子どもたちに逆の話をしたい。
今は昔よりもっと良くなった、良くしたんだよ、と。
昔の原風景は取り戻せないけれど、
里山の風景を再構築していくことは出来る。
「カネさん、ここ田んぼに戻してもいい?」
気づいたら、そう言っていた。
田んぼをちゃんとやったことはなく、
WWOOFで手伝ったことがあるくらい。
けど、その経験は忘れられないくらい素晴らしくて、
いつか、一年を通じてきちんとお米を作りたい、と思っていた。
普通の田んぼよりハードルが高いけど、
せっかく目の前にあるチャンス。
昔からお世話になっている自然農の師匠に教えを請いながら、
20年以上耕されていない田んぼの再生に取り組みます。