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バトンについて思うこと

かなり久々のオリジナル記事だが、ワケあって長いです。

夏が終わり涼しくなってくると思い出す、約15年前、11月のある日のこと。

僕は恐らく人生で初めて発したであろう言葉を絶叫していた。

「もういい、やめろ!やめてくれ!」

ショッカーによって仮面ライダー1号に改造される本郷猛の台詞ではない。
紛れもなく、僕が発した言葉だ。

知り合いでも何でもない人に対して、ましてや、今まさに僕を助けようとしてくれている人に対して発するには乱暴、失礼で違和感のある言い回しだが、一言一句間違いは無い。


鮮明に記憶している。


この暴言シーンよりも約30分前のこと。

当時飲食店で働いていた僕は深夜までの勤務を終え、決して規則正しいとは言えない時間、夕食だか朝食だか分からない食事を外で済ませ、自宅に向かって車を走らせていた。
カーオーディオからはMr.Childrenの「Sign」が流れている。

記憶はここで一度途切れる。



火薬のような匂いで我に返る。
ハンドルの中央から潰れた袋状のものが出ている。

ああ、これがエアバッグか。
実際こんな感じで出るのか。

まぁいいや、もう夜も遅いし早く帰らなきゃ。
さぁ、ギヤをドライブレンジに入れて…あれ?入っている。
というか、左手が変な方向に曲がってるな。

心無しか空間が歪んでいるような気もする。

まぁいいや、早く家に帰ろう。
あれ?アクセルペダルが踏めない?


支離滅裂な思考だが、そう思ったのだから仕方ない。
剛性に優れたフレームに辛うじて守られたその時の僕は知る由もなかったのだが、その車はとうに走行という機能を喪失していた。


次に覚えているのは、これまた衝撃的な言葉。
煙草の煙を出すために少し開けていた窓の隙間から声が聞こえる。

「おーい、大丈夫か?!早く出さないと燃えるぞ!」

「いま救急車呼んだからな!頑張れ!」

…は?何が?

というか、誰なんだよ。貴方たちは。


僕はメチャクチャに潰れた車の中で眠っていたのだ。
いや、意識を失っていたという方が適切か。

疲れが祟ったのだろう。
いわゆる居眠り運転だった。

僕の運転する車は、中央分離帯にそびえ立つ極太で巨大な街灯に正面から突っ込み、バンパーは文字通りペチャンコになっていた。

幸い車内の空間まで潰れることはなく、しかし衝突の衝撃で僕の右脚は動かなくなっていた。
そりゃアクセルペダルなど踏めるはずもない。
いや、仮に踏めたとしても車としての機能は喪失しているので帰ることも出来ないのだが。

程なくして到着したレスキュー隊により、僕はハッチバックのドアから引きずり出された。
身体の状況により、運転席のドアからの救出は危険と判断されたようだ。
知らない車の天井を眺めながら、知らない車の中に響くお馴染みのサイレンの音を聴きながら、知らない救急病院に運び込まれた。
仰向けで車に乗ったのは、後にも先にもこの時だけだ。


ここで冒頭のシーンに戻る。

僕の右股関節は脱臼していた。
これを押し戻し、正規の位置に入れ直そうという処置の痛みに対して、僕は絶叫していたのだ。
この世の物とは思えないような激しい痛み。

たまに聞く、「脱臼癖があるから自分でハメ直すんだよね」というようなフレーズ。
脱臼って簡単に治るんじゃないのか?
というか、衝突して脱臼って、何かベクトルおかしくないか?

絶叫しながらもそんなことを考える。
どうやら対応にあたってくれた救急医の方達も思い当たったようだ。

脱臼を元に戻す処置は一旦中断。
レントゲンを撮ってみようということになった。

結果的に僕の股関節のジョイント部分は砕けていた。
大腿骨のてっぺん・・・・にある、『骨頭』という球体状の部分だ。

衝突の衝撃で大腿骨が股関節に過度に押し込まれ、その部分が破壊されたという。

「関節が抜ける」という脱臼ではなく、関節そのものが破損して、噛み合った状態ではなくなった、という理屈だ。

関節の受け側が問題無くとも、ジョイントに使う球状の部分が崩壊していたら、そりゃハマるものもハマらない。
まして砕けたカケラごと押し込もうとすれば、痛いに決まっているだろう。

瞬時にその可能性を疑い、レントゲンを撮る判断をしてくれた医師の方には頭が上がらない。
(押し込む前に考えればいいのに、と言うような気持ちは一切無い。ここで現場の対応に口を出すのは筋違いだし、粋ではない。)


数日後、僕の砕けた骨頭は手術によりパズルのように繋ぎ合わされ、無事に関節に元の位置に収まった。

僕「どのくらいで歩けるようになりますかね?」
医「…まぁ、リハビリ頑張りましょう!」
僕「というか、歩けるようになるんですよね?」
医「少しずつ、出来ることをやっていきましょう!」

という明確な答えを回避した恐怖の問答を主治医と交わしながら、歩行訓練を行なった。
ついでに骨折した左手首のギプスのせいで車椅子の操縦も難しかったが、そこは若さでどうにか乗り切った。
余談だが、何故かリハビリの部屋に置いてあった三線を渡され、風変わりな作業療法士の指導により、僕はこの入院中に演奏を習得した。
折れた左手の回復の役に立つ(かも)と言われてのことだ。

退院後に楽器店で買った三線を、先日久々に演奏してみた動画。


約4か月の車いす・入院生活を終え、現在は特に生活に支障なく過ごせている。

僕はサッカーやゴルフ、棒高跳びなどは出来ない体になってしまった。
バスケットボールやバレーボールのような、股関節に負荷がかかる種目も断念せざるを得ない。
これはとても寂しいことではあるが…いや、失礼、ひどい大嘘をついた。
サッカーもゴルフもやったことがなかったし、棒高跳びなど、何メートルの棒をどうやって持つのかも知らないし興味も無い。
というか、そもそも幼少の頃から運動嫌いなので、びっくりするほどに支障がない。
それらに興じることの出来ない寂しさなど微塵も感じない。
「残念ですが激しいスポーツは…」という医師の言葉に被せ気味で「あ、それは大丈夫っす。」と食い気味で答えたほどに。


とはいえ、天気や気温、季節の変化に応じて少々の痛みが生じることもある。
痛みにより歩行にちょっとした違和感を持つこともある。

この一件、僕の寿命に特に影響は及ぼさなかっただろうが、もともと短かった足は、あろうことか寿命まで短くなってしまった。
(僕本体の寿命と足単体で推測した寿命を考えた場合に。)

現在は人工関節の技術も相当に発達しているので、今後の人生で支障が出た場合も心配することは一切ない、と主治医には言われているのでそこは安心している。
日常生活を普通に送る上では、特に心配事は無い。


ざっくり話すとこんなところだが、今になって思うことがある。

この事故、「命を落としてもおかしくないレベル」だったようだ。

僕を救出してくれたレスキュー隊員の方が入院中の病室に来てくれたのだが、こんなことを言っていた。
「語弊はありますが、脚の怪我だけで済んだのはむしろ幸運だったかもしれません。それだけの大きな事故でした。」

一応の聴取ということで警察も来た。
ひと通りの状況説明を受け、こんなことを言われた。
「通報が早かったので本当に良かったです。少し遅かったら車両火災の可能性だってありましたから。」

なかなかにショッキングな言葉たち。

ふと思い立ち、警察の方に訊ねる。
「通報してくださった方のお名前や電話番号、教えてもらうことはできますか?御礼を言いたいので。」

警察の方曰く、通報者はそれを希望しておらず、教えることは出来ないとのことだった。

「通報者の方も、貴方を助けたい一心で連絡をくれたんだと思います。もしもそのことに対して感謝の気持ちを感じて頂けるなら、貴方が同じような状況にを遭遇した時、同じようにして誰かを助けてあげてください。世の中っていうのは、それで良いんだと思いますよ。」

なにかと「世知辛い世の中だ」と言われがちな世界だが、案外そうでもないと僕は思う。
対価や感謝の言葉など置いておいて、目の前で困っている人がいれば助ける、そんなシンプルな原理で動いている人々は確かに存在している。

自分が受けた恩を相手に返すのは勿論大切な事ではあるが、たとえそれが叶わなかったとしても、誰かから受けたバトンを全く別の誰かに受け継ぐ、ということで世界は少しだけ素晴らしい方向に動く。

…かもしれない。

少なくとも、僕は名も知らぬ沢山の人たちのお陰で命を救われ、こうして今日も生きているし、この事故以降に出会った人々も数知れない。
足元にまとわりついて来る娘も、その中の一人。
そして、今日もこうして駄文を書き綴っていられる。

感謝してもしきれないし、僕が生きている限りそれを忘れることはない。

ちなみに、当時は核心に触れずにネタ記事として書いたが、入院時のエピソードはこちら。
改めて見ると、コメント欄が大変なことになっている…。


あとがき。

この記事はCAおとうふさんから回ってきたバトン企画。

上記記事内でおとうふさんも言っている内容と同様、僕もまたこの手の企画を得意とはしていない。
しかし、それでも自分で止めることはしたくない、誰かに渡せれば、という気持ちはとても理解できるため、彼女からのバトンを受け取ることにした。
かなり遠慮気味な打診だったが、こちらの気持ちも汲み取った上でのものなので、断る理由もない。
少々重いテーマをチョイスしてしまったが、「バトン」というフレーズを聞いてまず思い浮かんだのが当エピソードだったのでお許しいただきたい。


以下はコピペ文です。

★企画について~バトンのつなぎ方~★

※期間は 9月30日(金)まで です

1.記事を書いてほしいとnoterさんから指名=バトンが届きます。

2.バトンが回ってきたら「心に残るあのエピソードをあなたへ」の記事を書いてください。

3.noteを書いたら、次にバトンを渡すnoterさんを指名してください。指名したことがわかるように、指名するnoterさんの一番最新のnoteをシェアしてください。

#心に残るあのエピソードをあなたへ というハッシュタグもお忘れなく

※指名するnoterさんは、最大2名まで。
あまり多いとご負担になりますので、1名か2名でご指名ください。

4.チェンナーさんの下記の記事を埋め込んでください。マガジンに追加してくださいます。



★バトンリレーに参加しないときは・・・

1.バトンをもらったけど、noteを書きたくない、という方は、バトンをチェーンナーさんにお返しください。

方法①「チェーンナーさんに返します」というnoteを書いて、上記の記事を埋め込んでください。チェーンナーさんが「心に残るあのエピソードをあなたへ」を書いてくださいます。

方法②上記のチェーンナーさんの記事のコメントで「バトンを返します」とお書きください。


このバトンを僕からどなたかにお渡しすることはしない、という選択をしましたので、バトンはチェーンナーさんにお返しします。

本企画を立ち上げたチェーンナーさん、素敵な企画に参加させて頂きありがとうございました。


長文お読み頂きありがとうございました。


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