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親父とカボチャについて思うこと

実家は車で20分程のところにある。
近すぎず遠すぎず、丁度良い距離感だと思っている。
僕自身はといえば特に実家に用事はないのだが、娘と祖父母(僕から見た両親)は超が付くほどの相思相愛。
決して悪いことでもないので、数週間に一度くらいの頻度で連れて行く。

孫が来た時に退屈しないよう、実家にはそれなりに色々な物が揃えられている。
ハードディスクレコーダーには、その所有者たちが絶対に興味を持っていないであろう「アンパンマン」や「プリキュア」、「きかんしゃトーマス」などが録画・保存されている。
それらをひと通りつまみ食いするように観終えると、娘は祖父母家専用バイク(室内用)に跨りリビングや廊下で暴走行為を繰り広げ、それに飽きればおやつを与えられ、メシを食い、エアコンの効いた部屋(元・僕の自室)に予め敷かれた布団に入り、祖母の絵本を読み聞かせられながら昼寝をする。
随分な厚遇ぶりである。

程度の差こそあれ、祖父母と孫というのは概してそういうものなのだろう。
仮にこれが同居生活であり甘やかしが常態化しているなら多かれ少なかれ問題も出てくるのだろうが、たまのことなので特に気にはしていない。

実際の所しんどいのは、娘が昼寝を始めたあとである。
上述の通り、僕から見た母親は孫を寝かしつけるため2階に上がる。
1階リビングには僕と親父が取り残される格好になる。

これがまた気まずい。

特に確執があったり、過去に血で血を洗うような大喧嘩をした、などということはない。
かと言って、特に話すこともない。
振り返ってみれば、会話らしい会話で盛り上がったことなど、無い。

気まずい。

結婚式の打ち合わせや親戚の葬式の段取り、それぞれが車を買う時の情報収集のような場面で多少言葉数が多い時もなくはないが、そんなこと以外には話題がない。
酒の力を借りれば何とか…というところか。

気まずい。

リビングに2人で取り残された時、親父は親父で僕と全く同じことを考えているのではないかと思う。
あくまで想像だが。

それでも、(何か話でもした方が良いか?)という気持ちが5ミクロンほど、無くもない。
必死さや使命感と言えるものは皆無だが、何とは無しに話題を探す。

ふと、娘が遊ぶ小物が収納された取っ手付きの入れ物が目に入る。
オレンジ色のプラスチック製カボチャに顔がかたどられた、球形に近いフタ付きの物体ジャック・オ・ランタン
ハロウィンのお菓子が詰められ販売されていたものだ。
急速に記憶が蘇る。

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幼少期、実家は裕福ではなかった、と思う。極貧という訳でもないが、それなりに我慢をした記憶がある。
正確に言えば、親父が若くして新築の一軒家を買ったことにより生活に回すお金が潤沢とは言えなかったということだ。
当時はそこまで実感しているわけではなかったが、近所の子供たちが皆一様にファミコンで遊ぶ中、買ってもらえない僕はずっと本や漫画を読んで過ごした。
同級生たちが変速機付きのスポーティな自転車を乗り回す中、僕は親戚からお下がりで譲ってもらった子供用のギヤ無し自転車(女の子向けのピンクの車体を親父がスプレーでブルーに再塗装)で体力を消費した。
家庭の経済事情を何となく察した長男である僕は、回転寿司で好き放題絵皿を取る弟を横目に、ドが付くほどシンプルな無地の皿を取るよう心掛けていた。

そんな幼少期だったが、これといって悲壮感もなく、僕なりに楽しい時間を過ごしたように思う。


20代前半の頃。
特にイベントごとがあったわけでもないが、何となく弟と予定を合わせ、実家に帰る。
親父の近況報告を聞きながら、淡々と酒を飲んでいた。
家のローンが終わったこと、車を買い替えたこと、最近旅行に行ったこと。
まったく面白みのない話をひと通り終えた親父が席を立つ。
「あぁ、そういえばお前らに土産買ってきたから」と言いながら。

何日か前に、旅行先で買ったものだという。
無造作にテーブルに置かれる2つの球体。
この日はハロウィンを過ぎた11月の初旬。
オレンジ色のカボチャ型の容器に、お菓子が詰められている。

僕も弟も反応にひどく困る。
クッキーやらラングドシャやら漬物やら、てっきり旅行先の名物が出てくるものと思っていたからだ。
カボチャ型の容器の底にはモロゾフのラベルが貼られている。
正直、近所のジャスコで買える。

あまりに得意気に渡されたので、特にツッコミを入れる気にもなれず、礼を言いつつ受け取った。
示し合わせたわけでもないが、(子供じゃないんだから…)という言葉は、兄弟共に何とか飲み込んだ。
久々に息子たちと酒を飲んで上機嫌のまま親父は酔いつぶれ、酒に弱い弟もそれに続く。二人が早々に自室へ退散した後、キッチンを片付けている母親に訊ねる。

「で、なぜモロゾフを?近所のジャスコでも買えそうなデカいプラスチックのカボチャを、わざわざ旅行先で2つも?新幹線に乗る時邪魔だっただろ。あと、成人済みの息子たちにとっては若干、子供向けすぎる気が。」と。

母親も全くの同じ感想を持っていたとしつつ、答える。
旅行の終盤、土産物を物色する中、モロゾフの店頭に並ぶくだんのカボチャを見つめつつ、「あいつらが子供の頃、こういうの欲しがってたけど買ってやれなかったよなぁ。買ってやっても、2人で1つだったりしたし。」と言いながら、気付けば親父はレジで会計を始めていたという。

止めるのも野暮かと思いそのまま買わせたが、帰りの新幹線に乗り込むまでカボチャ2つ(デカい)を持たされた母親は、心底(捨ててやろうか)と思った、ということも付け加えられた。

「まぁ、そんなわけよ。罪滅ぼしと言うと大袈裟というか…なんか言葉が違う気もするけど、そういう種類のやつだと思うから。お父さんの気持ちだから、もらっておきなさいよ。」

自室に戻り、少しだけ涙が出た。


その翌日、もらったモロゾフは中身のお菓子だけをバッグに詰め込み、実家を出発した。
カボチャの容器は実家に残して。

「え!お父さんの気持ちは!?」と思う方もおられようが、そんな邪魔なもん持って新幹線に乗れるか。ふざけんな。



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そんな20年近く前の記憶が何故か今頃になって蘇り、「まだ捨ててなかったのか、それ」と親父に言う。
「せっかく買ってやったのに」とか「置いていくか普通」などと、5分の1世紀という時を超えて小言を言われたが、特に不機嫌ではないように見える。
孫の遊び道具を入れるのに丁度良かったからだろう。
娘も気に入ってハンドバッグのように持ちながら、祖父母の家の中を歩いている。
ハロウィンの時期だろうが、それ以外の季節だろうが彼女には関係ないようだ。
「十数年後に生まれてくる孫の為の先行投資だったと思えば、無駄でもなかったんじゃねぇか。俺もここに置いて行って良かったじゃん。」
「うん。まぁそうかもな。」

そんな会話を一言二言交わし、また親父はテレビに、僕はスマホに目を遣った。
そんな、とある盆休みの一日。


こんなやつ

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