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シンデレラ舌と回転寿司とガンダムについて思うこと

先日、noteにこんなつぶやきを投稿した。

甘酒アベンジャーズ

結果的に6本集め、収集にも飽きてきたので満を持して一人甘酒品評会を開催した。
あまり大量に飲むのもどうかと思い、1日1本、スマホでメモを取りながら厳正なる審査を行なった。

1本目、サラッとした口当たり。美味しい。粒感少な目。
2本目、トロッとした口当たり。美味しい。粒感無し。

…しかし3日目、3本目を飲んだところで気付く。

(あ、これ無理だ)

品評会、審査などと偉そうなことを言っておきながら、自分が貧乏舌の持ち主であることを完全に忘却していたのだ。
酷評も辛口審査も出来たものでは無い。

というわけで、1位は大関蔵元造、灘の甘酒

大関蔵元造、灘の甘酒

ショウガとハチミツのハーモニーが素敵。優勝。100円なのに。
他のも全部美味しかった。

以上。


…という投稿もどうかと思うので、今日は僕の貧乏舌についてお話ししたい。

貧乏舌とは↓

「貧乏舌」の1つ目の意味は、高価な食べ物が苦手というものです。高級なものほどかえって美味しくないと感じてしまう味覚の持ち主です。
「貧乏舌」の2つ目の意味は、不味いと感じることがないというものです。食べ物の味がよくわかる人なら美味しいものと不味いものを区別することができます。

コトバの意味辞典より抜粋引用

あまり「貧乏舌」という響きが良くないので、以降、貧乏舌=シンデレラ舌と呼称する。
これを読んでいる方は今後の日常生活においても言い換えて頂きたい。

僕は2つ目の例に近い。
余程の物を食べれば「不味い」と感じることもあるが、世の中の物は大抵美味しく感じる。
「あそこのラーメン、全然だよ」と言われるようなお店でも、僕は美味しく頂ける。
今回の甘酒など、巨大メーカーが巨額の資金を投入しているのだから、美味しいに決まっている。

ゆえに、シンデレラ舌の僕が味を確認したところで、全部美味しいし、ランキングなどつけようがないのだ。


僕がシンデレラ舌を持つことになった経緯には、思い当たる節がある。

僕が育ったのは「いわゆる普通の家庭」だが、小学生だった当時の我が家にとって、弟を含む4人家族での外食はそれなりに家計へのダメージを及ぼしていたと想像する。
育ち盛りの小学生男児2人、持ち家のローンもあり、決して楽な生活ではないのだろうと子供心に感じていた。
それでも、たまに連れて行ってもらえる回転寿司が好きだった。

2022年現在の回転寿司業界にはスシロー、かっぱ寿司、くら寿司など、多くのチェーン店がひしめき合っており、そのほとんどの店舗で、どのネタを選んでも1皿約100円という価格設定がされている。
だが、当時(1990年代前半)の回転寿司店は必ずしもそうではなかった。
地元の回転寿司店の壁には『絵皿』の見本が掲げられ、地味な色の皿は100円、少し派手な皿や黄金に輝く皿は200円、300円、400円…と、寿司ネタのランクによって価格が異なっていた(現在もそのシステムの店はたくさんあるが)。

上述の通り我が家の家計を何となく気にしていた僕は、玉子焼き、蒸しエビ、いなり寿司、納豆巻き、イカ、といった地味なセレクトに心血を注いでいた。
高い絵皿ばかりを頼むことで家計が火の車になり、一生回転寿司に連れて行ってもらえなくなることを恐れてのことだった。
とはいえ、「子供がそんなこと気にするんじゃない、好きな物を食え」というタイプの親でもあった為、「地味セレクト」をカムフラージュする目的で毎回1皿は高め絵皿であるイクラを食べていた。

回転寿司に限らず、ファミレスに行っても、ハンバーガーショップに行っても、同じような地味セレクトを心掛けていた。

恐らくだが、僕のシンデレラ舌はこの辺りにルーツがあるのではないか、と考えている。

ちなみに3つ下の弟は空気が読めないタイプだった為、彼の目の前に積み上げられる皿の8割近くが煌びやかな色をしていた。

「殺意」に似た感情が初めて芽生えたのは、この頃だったように思う。


幼少期のことを書いていて思い出したが、「お菓子」についても忘れられない記憶がある。
母親に連れられてスーパーに買い物に行った際、「1人100円まで、お菓子を買ってあげる」という場面が多々あった。
性格が如実に表れるシーンのような気もするが、回転寿司で地味セレクトをする僕にとって、この予算100円での買い物は神経を使うものだった。
100円の予算配分、内訳をどうするか問題である。

10円のガム×10個=100円
10円のうまい棒×10本=100円
30円のチョコレート×2個+10円のガム×2個+10円のうまい棒×2=100円

無限の可能性が、1枚の硬貨には秘められていた。
毎回その場で考えうる最高の組み合わせを導き出し、向こう何日間分の「自分だけのお菓子備蓄」を構築していた。

地味な駄菓子のようなセレクトばかり心掛けていたことも、シンデレラ舌誕生のきっかけの一つなのかもしれない。

ちなみに3つ下の弟は空気が読めないタイプだった為、
小さなガンダム人形がオマケで付いているお菓子(100円)×1=100円
という予算消化のスタイルをとっていた。
あんなものに入っているお菓子など、乾燥剤と見間違うようなショボいガムが一粒、というようなものが相場だった。
一瞬で自分の持ち球お菓子がなくなった弟は、捨て犬のような目で兄である僕のお菓子を見つめてくる。
「1個だけだよ。特別だよ。」と言いながら、僕はお菓子備蓄を弟に分け与えていた。

自分の中の「殺意」に似た感情が疑惑から確信に変わったと気づいたのも、この頃だったように思う。


「貧乏舌」をGoogleで検索すると、当該語句のあとに候補として「幸せ」「かわいそう」の語句が出てくる。

余計なお世話である。

均等ではないかもしれないが、世の中の人が持つイメージは概ね2通りに分かれる、ということなのだろう。

近い将来、未曽有の食糧難、飢饉のような事態が起こるかもしれない。
そうなった場合、運よく手にした食料を美味しく食べられるのはシンデレラ舌を持つ人々だろう。
ZOZO舌を持つ人々は、「不味いよう」「ハンバーグが食べたいよう」などと不平不満を口にし、必要な栄養分も摂れずに息絶えていくのだ。

過酷な境遇のシンデレラが最後には幸せを得るように、シンデレラ舌、いや、貧乏舌は「幸せ」と思った方が人生は楽しめるのかもしれない、という話。

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