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「自分の中の正しい」を通すと幸せになれるのか? 『バートルビー』を読んで

こんにちは!
最近、道徳にハマっています。
らるです。

道徳を学ぶ中で
「自分の中の正しい」を通すと
幸せになれるんじゃないか
…と、思うようになっていたのですが

「自分の中の正しい」を通しても
ダメな事があるんじゃないの…?

…と、思わせる本に出会ってしまった
ので紹介します。

まずは、本の概要です。

主人公は法律事務所を営む年配の男。

元々、何人かの筆写する人を
雇っていたが
(昔の話なので「書き写す」が
 仕事になっていた)
仕事が増えてきたので
人を増やすことにした。

雇ったのはバートルビーという名の、
品はいいがどこか生気に欠けた青年だった。

雇い入れられた彼は、
非凡な量の筆写をこなしていた。

しかし、ある時、
所長である主人公に
書き写したものの点検のための
口述を頼まれると
「しない方がいいと思うのです」
とだけ言って頼みを拒否する。

それだけでなく彼は、
ちょっとした「お使い」すらも拒否し
筆写以外の仕事を
頑として行なおうとしない。


それでも主人公は、
他に行き場のないらしいバートルビーを
大目に見て許していたのだが、
バートルビーはある日を境に
筆写すら拒むようになる。

仕事をしなくなった彼に、
主人公はついに解雇を言い渡すが、
バートルビーは
「立ち去らない方がいいと思います」
と言って事務所から出ようとせずに、
いつまでも何もせず事務所に
居座ったまま
だった。

万策尽きた主人公は
ついにバートルビーを置いて
事務所の建物を移す。

それでもバートルビーは
建物から離れない
新しい事務所に写った主人公の元に、
元の建物(バートルビーがいるところ)
の新たなオーナーから苦情が来る。

主人公は仕方なく
「新たな仕事を探してやろう」とか
「個人的に家に引き取ろう」と

バートルビーに申し出たものの
「何も変わらない方が良いと思います」
と、バートルビーはそれすらも断った。


ついに警察を呼ばれ
刑務所に連れられていき、
そこで食事を拒んだまま
冷たい庭石を枕にして息絶える


その後、主人公は風の噂で、
バートルビーがもともとは
郵便局の配達不能便を
取り扱う部署で働いていた
という話を聞く。

最後は主人公の
「ああ、バートルビー!
 ああ、人間とは!」
という言葉で締めくくられる。

どうでしょうか。

バートルビーの動機が
全く分かりません。

作中でも一切それは
語られません。

ただ、彼が
「自分の中の正しい」を
通したことは間違いありません。

「~したい」ではなく
「~ほうが良い」という言い方
単なる希望ではなく、
信念であるということを
表していると思います。

「普通はそうはしないだろ」とか
「一般的に考えて、こうした方が良い」
という原理で動くことは全く無く
ただ、自分の信念に従っています

一切働かず、
ただ事務所に居座り続ける
ことですら
彼の中では「良い」ことだった

ということです。

そして、最後まで
「彼の中の正しい」を通した結果
刑務所での死
を迎えます。

私がバートルビーに聞きたいのは
「君は幸せだったのだったのか?」
ということです。

誰の共感も得られず
誰の助けにもならず
何も生み出さず

それでも君は幸せだったのか、と。


私は、道徳を学ぶ中で
「自分の中の「良い」」を明確にし
それに沿って生きていけば
幸せになれる
だろう

他人や世間がどう思うかではなく
「自分が」どう思うかが一番大事

…と、考えていました。

バートルビーは
まさに、この生き方を通しています


…にも、かかわらず、私には
彼が幸せだったように見えません。

この物語から、私は

誰の共感も得られず
誰の助けにもならず
何も生み出さない で
幸せになることはできるか?

という問いを得ました。

これがイエスなら
私の価値観はガラッと崩れてしまう
気がするなぁ…と、思います。

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

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毎日更新していきますので、
今後とも宜しくお願いします!


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