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🔶私の好きな奈良:鏡作坐天照御魂神社 三種の神器を造った鏡作職人の氏神


古代の鏡というと、どのようなものを思い浮かべますか?

弥生時代に、中国や朝鮮半島から青銅鏡がもたらされたのが、日本列島における鏡の始まりとされます。当時、鏡は祭祀の道具であり、古墳時代以降は副葬品となるなど、その後も特別なものとして大切に扱われてきました。

八咫鏡(やたのかがみ)が、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)とともに三種の神器として皇室に伝わっていることはみなさんご存じの通りです。

今回は、そんな鏡を造る古代工人鏡作集団がいたとされる鏡作郷(かがみつくりごう)に鎮座する鏡作神社(正式名は鏡作坐天照御魂神社:かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)の紹介です。

三種の神器の一つ、八咫鏡について

古事記に書かれている神話です。

天照大神(アマテラスオオカミ)は、弟の須佐之男命(スサノオノミコト)があまりに乱暴をはたらくので、申し訳なく思って天岩戸といわれる洞窟に隠れてしまいました。
天上にも地上にも災いが広がってしまったので、何とか天照大神に出てきてもらおうと思った神様たちは、天岩戸の前で賑やかに大騒ぎをして、天照大神の気を引きます。

「何でそんなに盛り上がっているの?」と天岩戸の隙間から外を覗いた天照大神に、「あなた様よりも尊い神様が現れたのですよ」と言って差し出された鏡が八咫鏡です。
鏡に映ったものをよく見ようと岩戸を開いたところ、天照大神は引っ張り出されて、世界に平和が戻りました。

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降り立った際、剣、勾玉と共に、「この鏡を天照大神だと思って祀りなさい」といって授けられたのが八咫鏡で、三種の神器の一つとなりました。

記紀に示された鏡作郷

記紀によると、崇神天皇の時代に、皇居内で倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)とともに祀られている天照大神を、畏れ多いとして豊鍬入姫命に託して笠縫邑(かさぬいむら)の地に遷座したとされます。
笠縫邑の場所については諸説あり不定ですが、現在「笠縫」の地名のある田原本町も有力候補の一つです。

タイトルの写真になっている鏡作坐天照御魂神社は、奈良県田原本町にある神社で、延喜式神名帳に記された式内社です。

社伝によると、「崇神天皇六年九月三日、この地において日御像の鏡を鋳造し、 天照大神の御魂となす。今の内侍所の神鏡是なり。本社は其の(試鋳せられた)像鏡を天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)として祀れるもので、この地を号して鏡作と言ふ。」とあります。

そのころ都は⼤和にありましたが、三種の神器のうち御鏡を伊勢と皇居にお祀りすることになり、新たな御鏡を鋳造したのが、このあたりの鏡作の匠たちでした。

この時に試作した神鏡を御神体として祭祀し、天照大神が天岩戸に隠れた時に八咫鏡を作った遠祖にあたる石凝姥命(イシコリドメ)とその父である天糠戸命(アメノヌカド)をも併せて祀ったのが鏡作神社の起源とされます。

平安時代中期に作られた辞書である『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)には、大和国城下郡に「鏡作郷」の記載があり、この地には仿製鏡(ぼうせいきょう=弥生~古墳時代に中国の鏡を模して作った銅製の鏡)の製作に従事した鏡作部(かがみつくりべ)が居住していたとされます。

最近、4世紀後半に築造されたとされる日本最大の円墳、奈良市にある富雄丸山古墳で、国内出土最大の銅鏡と言われる鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもん たてがたどうきょう)や、東アジア最大と言われる巨大な蛇行剣が発掘され、大きな話題となっています。
この銅鏡も国産とみられることから、「鏡作郷」で作られた可能性が高いのではと考えられます。

鏡作坐天照御魂神社と、社宝の三神二獣鏡

三殿からなる本殿は、檜⽪葺の屋根、朱塗りの三間社春⽇流造です。
手前に入母屋造りの拝殿があります。

拝殿。この奥に本殿がある。

境内には、鏡の鋳造に際して、この池で鏡を洗い清めたと伝わる「鏡池」があります。この池からは、鏡の製作時に鏡面を研磨する際に使用された「鏡石」が出土し、境内に祀られています。

この神社は古くから鏡鋳造の神として信仰されており、鏡・ガラスを製造したり扱ったりする業界のほか、美の神として技術向上を願う美容師の方など、多くの参拝があります。

社宝として三神⼆獣鏡が伝えられていますが、これは三⾓縁神獣鏡の外区が⽋落したものと考えられています。

境内の立て札にある写真、社宝:三神⼆獣鏡

田原本町の土着信仰、農耕儀礼

奈良盆地には、豊作祈願を主体とした農耕儀礼である「野神(ノガミ)行事」があり、文化庁の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に「大和の野神行事」が選択されています。
鏡作神社のある田原本町周辺では、ノガミや蛇巻、綱かけという名の行事が多く確認され、今里(いまざと)と鍵(かぎ)の蛇巻行事も選択対象となっています。

古事記には、天津神(あまつかみ)である天照大神が、天孫が高天原から降臨して国を治める際に、鏡を自分の御霊として祀らせるように命じたと記されています。葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)を平定するために、既にそこにいる国津神(くにつかみ)がうまく従う様、種々の工夫をした様です。

人々の間に元々根付いていた、土着の信仰の対象なども、上手に抑える必要があったのでしょう。その際には鏡の力を利用したと考えられ、鏡作部は重要な役割を果たしたことが推察されます。

この地域に古くから伝わる蛇神信仰と、記紀や鏡作神社の社伝に記された伝承から発想を得たと思われる、坂東眞砂子氏のホラー小説があります。

少し怖いですが、なかなかおもしろい小説なので、記紀などがとっつきにくいと感じられる方は、一読のうえで、この鏡作神社に訪れてみるのもおススメです。


最後までお付き合い頂き有難うございました。
興味を持っていただけたなら幸いです。





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