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「ちびまる子ちゃん」と「りぼん」のこと

 先日、2,3日かけて、さくらももこ 著「ちびまる子ちゃん」のコミックスを全巻読み直してみた。そもそも、なんで読もうと思ったんだっけ…?とふりかえってみると、

 この記事を投稿したので、読んでみようと思ったのだった。自宅に全巻そろえて保管してあったので、すぐに読むことができたというのも理由のひとつ。

 今回、再読してみて率直に思ったことは、「お母さんの登場回数、多っ!!!」ってことだった。こんなにお母さんが出てくるとは……。まる子が台所に立ち寄って何かを話すシーンもかなり多い。

 あるいは、まる子がお母さんも含む家族に怒られたり、小言をいわれたりする場面もかなりある。

 おそらく、自分が母親になったから、読み始めた当初はまる子視点だったのに、現在は母視点になったのだろうとも思ったが、なんかそれだけじゃない感じもしている。そういえば、自分の誕生日に、母に「わたしの誕生日でもあるけど、お母さんが生んでくれた日だよね」と、メールでありがとうと送ったこともあったっけ。

 今はアドラー心理学を学んでいるので、きょうだい関係についても以前とは別の観点で読んだ部分もある。まる子は怠けたり怒られたりすることで、お姉ちゃんはしっかり者のいい子で時に妹のまる子の面倒をみたりすることで、無意識に母の関心を得られるようにしていたのではないか、なんて思ったりもする。

 アドラー心理学では、母親の愛情を「希少価値」といったりもする。このことを習ったとき、「うわーっ、やっぱアドラー心理学面白すぎる~…!」となったのをよくおぼえている。同時に、「お母さんの愛情を、そんなふうに呼んじゃっていいの~?だってお母さんの愛情ってもっとなんかこう……言葉を超えた大事なものなんじゃないの?それを希少価値とか言っちゃうんだ…!」と、ぞわぞわしたのであった。アドラー心理学にはほかにも、「器官劣等性」や「目的論」「課題の分離」などなど、わたしにとってその中身に興味を持たざるを得ない言葉がたくさんあり、学び続けている。

 父ヒロシや友蔵のキャラクターはいうまでもなく魅力的だが、今回読み直してみて、「まる子のお母さんって、どういう人なのかなぁ?」と、興味がわいた。

 それで思い出すのが、父ヒロシと母が恋愛していた頃の回。「ももこのほのぼの劇場」という、ちびまる子ちゃんとは別のエッセイ漫画にあるのだけれど、それもまたいいんですよね。お姉ちゃんとまる子の関係性をもっとリアルに描いた作品もあったりする。

 で、ちびまる子ちゃんに話をもどすと、コミックスの後半(10巻以降?)になると、怒られたりする場面もあるが、親子の絆を描いてホロっとさせる回がけっこうあるのも印象に残った。もしかしたら著者のさくらももこも、ちびまる子ちゃんを連載する年月のなかで母親になったからなのかな、と思った。

 ちびまる子ちゃんのアニメがはじまった時、わたしもまる子と同じ小学校3年生だった。

 あの時は、あの日は、夢のようだった。

 まず、毎月、「りぼん」を買って連載を読んでいた。「りぼん」の中でいちばん好きな漫画がちびまる子ちゃんだった。ある時、いつものようにりぼんを読んでいて、アニメになることを知る。びっくり仰天としかいいようがない。信じられない気持ちと嬉しさが湧き上がってきて、ものすごく楽しみになっていった。毎月、漫画を読めるだけでも嬉しいのに、アニメになるなんて…!!とわくわくせずにはいられなかった。ああいうのが、わくわくするという気持ちの根源なのではないかと思ったりする。

 あの胸のときめきと共に思い出すのはオープニングテーマ。そしてエンディングテーマの「おどるポンポコリン」はレコード大賞も受賞した。実家でテレビを観ながら拍手しまくりで喜んでいたっけ。

 それからというもの、グッズもできるだけ集めていたし、りぼんの付録のちびまる子ちゃんグッズもいちいち可愛いし嬉しかった。(っていうかりぼんの付録はいつもすごかった)なのでこんな本も持っている。

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 「りぼん」は、発売日近くになると、父が仕事の昼休みにいつも買ってきてくれていた。学校から帰ると、居間のテーブルに置いてあって、それも毎月楽しみでしかたなかった。

 いつの間にか、「りぼん」を買わなくなり、ちびまる子ちゃんのアニメも見なくなっていったけれど、コミックスはこれからも絶対にとっておいて何度も読み返すと思うし、とにもかくにも、わたしの少女時代は「ちびまる子ちゃん」と「りぼん」なしには語れないところがある。




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