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何回も自殺を考えた16歳の私が今生きていられる理由。

オーキッドです。数日前、Noteで、適応障害についての「告白」をしましたが、最近Noteの投稿頻度が下がりました。

こちら↑が、その「告白」のNoteです。104もののビューがありました。ありがとうございます。読者様の スキ はNoteを継続する為の良いモチベーションとなるので、是非 スキ(♡このボタンのことです。) してみてください。


実は、病状が悪化し、初めは、適応障害だと診断されていましたが、適応障害から鬱病へと移行した可能性が高くなったと先生からは思われているのが感じ取れます。適応障害の段階で治療を始めれば、環境調整、カウンセリングや認知療法のみで、症状の改善を図れることも多いそうですが、適応障害だと気付くのが少し遅かったのかもしれません。


今の病気が理由で、普通の日常生活でさえがんばらなくては上手に送れません。薬の副作用で、朝起きるのが大変だったり、すぐ疲労しまったり、人かの言動に敏感だったり、ほぼ毎日死ぬ寸前に立たされていると言っても過言ではありません。授業に参加することもできていないので、成績はまだ貰えていません…


話は変わりますが、今回のNoteのタイトル、センシティブな内容ではありますが、沢山の人に読んでもらえれば読んでもらえるほど、「人」の重大さを感じてもらえると思い、執筆することにしました。この内容を書くことは、私にとって大きな決断が必要でした。

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自殺願望の始まり

去年(2021年)の11月の時点で、「死にたい」という自殺願望がありました。しかし、自殺と言っても、 どういう手段で自殺をするのか・そもそも何故自殺したいのか・自殺に失敗した時のこと については全く考えていませんでした。自殺する前に、練習だと思って、軽い気持ちで、リストカットをし始めました。リストカットのような自傷行為をしてしまったのは、周りに助けを求められず、追い詰められていたからでした。その時から、自分自身で色々抱え込んでいたのかもしれません。リストカットに気づいた時には、毎回その行為自体に驚きを隠せず、何故してしまったのだろうとハッとするのを繰り返していました。


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「友人に相談出来ない。」

今年(2022年)の1月から、徐々に自殺願望は高まっていき、生きていくことが苦しいと何度も日記にそう書いていました。その当時、生きていくことが苦しくて苦しくて、楽になりたいという気持ちが一番大きかったです。実際のところ、友人に相談が出来ていなかったのが現状でした。(一人だけには、本当のことが言えましたが。)他の誰かが介入してどうにかなる問題ではないとはじめからわかっていたからでした。また、友人達の人生に邪魔をしたりする様なことは決してすべき行動ではないという確信があったからです。家族とは密に連絡を取り、サポートをしてもらってはいましたが、寮生活ですので、サポートも限られていました…

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今、生きていられる理由。

「人」が理由です。「私の周りにいる人」が理由で、自殺が後回しになっています。母、父、妹、友人、9年住んでいたタイにいる友人、カウンセラーが私の心の支えです。

人との関わりは本当に重要でした。

人と話す。
人と美味しいご飯を食べる。
人と笑う。
人と写真を撮りにいく
人とダンスの練習をする
人と何気ない日常的な会話をする
人と電話をする
人とバンドの練習をする
人とプロジェクトを立ち上げる
人と散歩に行く
人と音楽を聴く
人と旅行に行く
人と新しいことをする
人とどこかに遊びに行く
人と…

人と何かをするのがこれから少しだけ長く生きても良いと思えるきっかけとなったのです。私の周りにいる彼らは、全く人生で普通で平凡なことをしているだけかもしれませんが、私に生きる力をくれました。


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鬱を含め精神病になると、生きてくことの方が辛くなります。楽になるために本当はいなくなりたいです。

しかし、「人」に少しでも頼ること、「人」と何か関わりを持てば、生きている人生で楽しいことが待っているかもしれないと私は思える時があります。2週間前まで私は、毎日、毎日、「死にたい。」「死にたい。」「消えたい。」「私は必要とされていない。」と叫び、ボロボロと大粒の涙を流し続けていました。

2週間経った今、私は、3人の外国籍の留学生を自宅に迎えて、何気ない会話を彼らと送っています。


・他の留学生の子とも買い物をしたり、鍋を食べたり、カフェに行ったり、カラオケには2度も行きました。
・渋谷で、偶然学校の友人とすれ違ったり、日本住まいの私の大好きな友人達と夕飯も食べました。
・先輩とお台場に行きました。
・小3からの付き合いの友人とも遊びました。
・昨日は、6人の友人達と遊園地にも行きました。鬱病闘病中の私は、実は、うつ病が理由で、人混みが大の苦手になりました。かなり楽しかったです。お化け屋敷にも行って、water roller coasterでびちょぬれになって、美味しいクレープを食べて……………

かなり疲れてしまいましたが、3、4週間前の私は、こんなに楽しいことをすると思ってはいなかったでしょう。

学校開催のパーティーや卒業式、授業にも参加できなかった2週間前の私は、「死」しか目に見えていませんでした。

「死」を自分に近いものと考えていた私は、10階から飛び降りようと思いましたが、母が気が狂ったように飛びついてきて、抑え込まれました。首を何度も締めましたが、やはり死ぬことなんて、神様と家族と友人が許してくれないのでしょう…

「人」がいなかったら…私は、 死んでいました。 消えていました、この世から。 お葬式が今日あったかもしれません。 死んでいなくても、脊椎破裂骨折や脊髄損傷という重傷を負って、東京のどこかの病院で入院しているかもしれません。 意識がないかもしれません。 植物人間になっていたかもしれません。 体は無事でも友人や家族と作った記憶はなかったかもしれません

私が、言いたいのは、「人」と関わってみることが、自殺願望の軽減に繋がったということです。

今でも、死にたい・いなくなりたい気持ちは私の心の中の大半がそうです。しかし、「人」に出会えて、日常を過ごすことで、死にたい欲を軽減することが出来ています。

「人」は、身近な「人」である必要はありません。もし、希死念慮があったり、抑鬱の気分があるな…と少しでも思った方は、思い切って誰かに相談してみるのも良いと思います。もし、周りの人たちが信用できないのであれば、専門的なサービスを利用するという手もあります。勇気を出して、リンクをクリックするだけです。

東京都こころといのちのほっとナビ

メッセージ一覧 | 自殺と向き合う 生き心地のよい社会のために

よりそいホットライン

また、精神的な病気を抱えている人たちと、SNSでつながって交流してみるのも良いと思います。私はSNSで交流する勇気はありませんが、この様にNoteで、発信することで、気分転換ともなり、人と少しでも関われる様にしています。

これからも、Noteは私の闘病日記のようなものですので、執筆を継続します。これからもよろしくお願いします。


オーキッド

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