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小学生メンター ミソノ <第6話>

6.自分の足で立って、行動する


【前回のお話】5.和成、腹を括る

 勉強できなくなって、既に5日が経っていた。
 文字が書けないんだから仕方ないけど、ただ何もしないのも時間がもったいなかった。

“できないことに気を取られずに、できることをやりなさい。
byジョン・ウッデン"

 ということで、オレはこれを機に本を読みまくることにした。
 立川のお勧めの本も図書室から借りていた。

 中でもはまったのが、吉川英治の『宮本武蔵』だった。
 荒くれ者だった武蔵が書物を読みあさった後に、目を見張るような変貌をとげる場面や、剣の道へ進もうとする武蔵の意気込みに胸をドキドキさせながら読んでいた。

 舞台は違うが、何だか今のオレの状況に似ていて、武蔵の姿がオレを勇気付けてくれているように感じた。

 美園と言えば、オレが学校から帰ってきた頃に現れては、オレのベッドで寝転がってマンガを読んでケタケタと笑っている。
 メンターと豪語する割に、マンガを読んでいる時間の方が長いような気がしている。

 昨日は図書室に美園がフラッと現れて、この本がいいとか、ロマンスを理解した方がいいからと恋愛小説を読めとか、いちいち首を突っ込んできた。

 うるさいなぁと思いつつ、美園がそばにいることが当たり前になってきていた。

 そう思っていると、美園が悪戯そうな目をして言う。
「いつまでもいると思うな、親と天使。ってね。
あんたも自分の足で進まないといけない日がくるから、今のうちから心積りしてなさい」


 オレの「その時」は前触れもなく起こった。

 いつもより母さんの帰りが遅い。
 父さんは今日は出張なので、今夜は母さんと二人でどこかに食べに行くか、Uber Eatsで何かを頼もうと話をしていた。

 母さんが帰ってくるまで、美園はオレが一人にならないように待ってくれているようで、部屋でマンガを読んでいた。
 ただ単に、マンガの続きが気になって、居座っているだけかもしれないが、美園の心配りが嬉しかった。

 最近ちょっと気になるのが、母さんの体調だ。
弁護士をしている母さんは、時々大きな案件も受け持つようで、何も言わないけど、もしかしたらちょうど今がその大きな案件の時みたいだ。
 だから考え事をしている時が増えたり、しんどそうに家事をしていたりする。
 オレもできる範囲で手伝っているけど、やっぱり母さんは疲れているのだと思う。

「ただいま」
 母さんの声が玄関からした。

 いつもなら、母さんの声がする前に美園は消えていなくなるのだが、今日はまだオレのベッドの上に寝そべっている。

 まあ、じきに帰るだろうと思って、美園を残して一階に行った。

「お帰り」
 顔色が悪いなぁと、母さんが心配になった。
「カズ、ごめんね遅くなって。ちょっと仕事が大変で…」
 そう言いながら、母さんは手で目頭を押さえたかと思うと、玄関に倒れ込んだ。

 え?!
 オレは目の前に何が起こったのか分からず、呆然とした。
 頭の中が真っ白になって、体が動かなかった。

 するといきなり、後ろからボカッと美園に叩かれた。

「くぉら〜〜〜! あんたは、アホか。
アホじゃなかったら、大きな大きなオマヌよ!!」
 いきなり叩かれて、オレは言い返した。
「オマヌってなんだよ!」
「間抜けを上品に言っただけだわさ!」
「なんだと!」
 と言って、ハッとオレは我に返った。
 そうだ、母さん!

「どっ、どうしよう。美園、母さんが」
 あわてて、美園にどうしたらいいかを聞いた。

 でも美園は
「自分で考えなさい。誰もかれもが、側に天使がいるわけじゃないのよ。
自分の足で立って、自分で考えて行動しなさい。
今、お母さんの側にいるのは、カズしかいないのよ」
 と、オレを諭した。

 心臓がバクバクと音を立ている。
 そうだ、オレが、オレが何とかしないと。

 何とかすると言っても、小学生のオレには母さんの容態は分からないし、手当てもできない。無理に動かして、何かあっても大変だと思った。

 まずは、救急車を呼ばないと!
 あわてて居間に行って電話を手にする。
 受話器を持つ手が、今まで経験したことがないくらいに震えている。
 何とか911をかけて、状況を伝えて、家の住所を伝えた。

 1時間後、母さんは病院のベッドで寝ていた。
 母さんは、過労だと診断された。
 2.3日入院して、家に戻ってゆっくり休養するようにお医者様に言われた。
 全てのことを父さんにも電話して、オレは家に帰った。
 母さんの着替えとか健康保険証が必要だったからだ。
 病院の人にも、一旦帰って、明日来るようにとも言われた。

 家に帰ると、明かりが灯っている。
 父さんは、今日は帰れないと言っていたのに、変だなと思った。

 家の扉を開くと、いい匂いがしてくる。
 ダイニングに入ったら、美園が鍋をグツグツと煮ていた。
「カズ、おかえりなさい。一人でよく頑張ったわね。お腹すいたでしょう。
私の特性、天使鍋よ。
栄養満点、身体も気力も戻る優れものなんだから」

 美園の顔を見たら、今まで張り詰めていた気持ちがフッと緩んだ。
「帰らずに、待っててくれたのか?」

 美園は、天使鍋からお椀に野菜をよそい、フーフーと冷ましながら言った。
「もちろんよ。一応あんたのメンターだからね。さあ、温かいうちに食べて」
 お椀を差し出され、受け取ったが、オレは食べずに机の上に置いた。
 帰ってきた時に灯っている明かり、温かい食事を前にして、オレはいつの間にか涙を流していた。
「オレ、母さんが倒れたのに、なにも出来なかった。ただ単に、救急に電話して、付き添っただけだ」
 拳を握り締め、今日一日の自分の不甲斐なさを言葉にした。
 何も出来なかったことが、オレの心の上にしかかった。
 何も出来なかった理由は明白だ。
 オレは母さんを助ける知識も、技術も何も持ち合わせていなかったからだ。
 本来なら、子どもだから当たり前だと済まされることだろう。
 でも、また同じようなことが起こったら?
 オレはまた、今日みたいに何も出来ないだけじゃないか。
 あんなに今まで勉強してきて、いざという時に役立たずなんて、こんなことってあるだろうか。
 そう思うと、悔しくてまた涙が出てきた。
 大事な人に何かあった時、オレは何も出来ない大人になるんだろうか。
 悔しい。悔しい。悔しい!
 こんなにも何も出来ない自分が情けく、今までオレは何をやってきたんだと自分自身を責めた。
 テストでランク落ちした時の気持ちとは比べ物にならないぐらい、悔しくて、この気持ちをどうしたらいいか分からなかった。
 この何とも言えない気持ちが、オレの中でモヤモヤと霧がかかるようにおおい被さり、それが何なのか答えが出なかった。

 そんなオレの気持ちを察したかのように、美園は元気付けるように言った。
「今日のあなたは、一人でよく頑張ったわ。何もできなかったなんて、とんでもない。よく一人で踏ん張ったわ。もし、もっと何かを出来る様になりたいと思うなら、そうなるように努力していくしかないのよ。
さあ、涙をふく!」
 美園はティッシュをオレに渡しながら、包み込むような笑みを浮かべて言った。正に天使の微笑みだった。

 優しく微笑み、励ましてくれる人が側にいてくれて、今日はありがたかった。
 でなかったら、悔しすぎて、情けなさすぎて、ずっと落ち込んでいただろう。
 その笑顔に甘えるように、オレは美園にお願いした。
「美園、なんか元気になる名言を言ってよ」

「あら、名言のリクエストなんて、初めてね。じゃあ、今日のあんたのために一つ名言をプレゼントしてあげる。
かのスティーブ・ジョブズはこう言っているわ
”旅の過程にこそ価値がある "ってね」
 そう言えば、美園が初めて名言を教えてくれたのも、このスティーブ・ジョブズだった。
 美園は続けて言う。
「あんたは、まだまだ旅の途中よ。今日の出来事もその過程にすぎないわ。
今日経験したこと、その時の思いをどうするかはカズ次第。

あと、今日はサービスで、もう一つ名言を教えてあげる。
“薬を10錠飲むよりも、心から笑う方が良い By アンネ・フランク”

『アンネの日記』を書いた女の子の名言よ。
どんな時でも笑顔でいなさい。そうすればあんたも、あんたの周りの人も元気になれるわ。
さあ、落ち込むのはここまでにして、天使鍋を食べて。」
 促されてオレはテーブルに座り、目の前の椀を手にとった。
 お椀の温かさが手を通して心に届いた。
「いただきます」
 一口食べたら、悔しくて情けなくてどうしようもなかった心が落ち付き、二口目を食べたら、身体から疲れが飛んでいくようだった。
「美味しい、美味しいよ」
 天使鍋で心が落ち着き、身体から疲れが取れたオレは、笑顔でいようと思えた。
 美園が側にいなかったら、そんなことは到底思えなかっただろう。

 今、ここに美園がいることに、心から感謝した。


(つづき)7.心のモヤモヤが晴れる時

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