Hiro
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正直、導入部は戸惑いの方が強かった。早口すぎるナレーションとセリフ回し。高橋幸宏が宇宙船から独白する場面の周囲を鯉が泳いでいるシーン。それは何だかヌーベルバーグのフランス映画を見ているような感じで。そしてその後のミュージカルのような展開。 主人公の男性三人と成海璃子、常盤貴子、山崎紘菜ら4人の女性が何度も生まれ変わって時代を超え様々な人物を演じ、入れ替わり立ち替わり登場するカメオ出演俳優たち、尾美としのり、小林稔侍の映写技師、老いた大林宣彦の姿etc.。 余りに多過ぎる情
「人はいつしかいなくなりましても、その人と共に仰いだ星はいつまでも身近にあります」 島尾ミホエッセイ集『愛の棘』より
ひとつここではっきりさせておこう。小説に関するかぎり、アイデアの集積所も、ストーリーの中央駅も、埋もれたベストセラーの島も存在しない。いいアイデアは、文字どおりどこからともなく沸いてくる。あるいは、虚空から落ちてくる。太陽の下で、ふたつの無関係なアイデアが合体して、まったく新しいものが生まれることもある。われわれがしなければならないのは、そういったものを見つけだすことではない。そういったものがふと目の前に現れたときに、それに気づくことである。
今年のゴールデンウィークは、ほぼどこも行かず何事もなく平穏に過ぎたのだけれど。大型連休といえば、二年前の記憶が今も蘇る。 ちょうど2年前の大型連休明けは、老いた家族が大学病院に入試手術した日で。当時のことは今でも鮮明に覚えている。あの年ほど休み明けが怖かった年はなく、ずっとモヤモヤした気持ちを抱えたまま連休を過ごした。 その年の連休明けは火曜日で五月七日。老いた家族を連れて午前十時に入院手続きをして午後からすぐに手術。私は病室で家族が手術を終えて帰ってくるのを待ちながら、
"去年まで有名なアイドルグループを追いかけていた成美は「触れ合えない地上より触れ合える地下」と言う。あかりも来なって、はまるよ、認知もらえたり裏で繋がれたり、もしかしたら付き合えるかもしれないんだよ。 あたしは触れ合いたいとは思わなかった。現場も行くけどどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。" 宇佐美りん「推し、燃ゆ」より
銀行ATMのそばに「タッチパネル操作は綿棒をお使い下さい」とあったのだけれど、コレは何という近未来SF映画ですか?
朝から総合病院へ大腸内視鏡検査に行ってきました。今年初めに多少の下血があって、それで消化器系の出血が疑われての検診だったのですが。結果は「痔で出血して治った後がありますね」という意外な結果で、なんとか『異常ナシ』でした。 出血の場所が大腸近辺だっただけに、大腸ガンの可能性も考えて検査前は、精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』や『「死ぬ瞬間」と死語の生』を読んで、命について深く考える貴重な時間でもありました。 まだまだ、私は神様に生かされている、今はそんな感じな
"自分の感受性ぐらい" ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難かしくなったのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどっちなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を
私は末期癌患者と会うときには、かならず自分でその患者の家を訪ねます。患者の身内の人が私の家に来るのは、お金の支払いのときだけです。ただし、歩ける子どもは、うちに呼んでキッチンで会います。うちには診察室はありません。子どもが怖がるからです。リビングルームも使いません。キッチンを使います。暖炉があるからです。なにしろシカゴでは零下四十度になることもめずらしくないので、暖炉のそばにすわるのはとても居心地がいいのです。 そして、私は子どもに対して、とても「恐ろしい」、とても健康
世の中には、誰かを応援する側の人もいれば、誰かから応援される立場の人もいて。誰が創り出したコンテンツを消費するだけの人もいれば、自らの手でコンテンツを創り出そうと、もがき続けている人もいる。 消費する側と表現する側、インプットするだけの人と、何かのアウトプットを試みようとする人。 半年ぶりに出かけて行ったライブで感じたことは、表現欲求の再燃で。ふと気づけば、最近の私はインプットばかりで、まともにアウトプットをしていないことに気づく。 時にはInstagramに写真をアッ
かれこれ半年以上ぶり、友人との会食で鷹野橋にある焼肉大学へ。2階座敷で2時間食べ放題、最初からゴハン片手に肉&野菜で、私は1時間弱でギブアップ。急きょ集まった6人は、ほぼ演劇関係者で、私とあと1人だけが一般人。雑多な話をしつつ、舞台に立つとはどういう気持ちなのかを、色々と尋ねる。 毎日、同じ演目の舞台で1日目と2日目では、舞台に立つ気持ちは違うのか? 日によって演技を変えるのか? 等々。そのなかで「芝居翌日から1ヶ月ぐらいは、頭の中を演じた台詞がグルグルする」という人の言葉