映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」を見る

正直、導入部は戸惑いの方が強かった。早口すぎるナレーションとセリフ回し。高橋幸宏が宇宙船から独白する場面の周囲を鯉が泳いでいるシーン。それは何だかヌーベルバーグのフランス映画を見ているような感じで。そしてその後のミュージカルのような展開。

主人公の男性三人と成海璃子、常盤貴子、山崎紘菜ら4人の女性が何度も生まれ変わって時代を超え様々な人物を演じ、入れ替わり立ち替わり登場するカメオ出演俳優たち、尾美としのり、小林稔侍の映写技師、老いた大林宣彦の姿etc.。

余りに多過ぎる情報量に中盤までは圧倒され続け、ストーリーに入り込めない状態が続いたのだけれど。後半のクライマックス前、沖縄の場面から急に視界が良好になって、その後は一気に作品世界に同化できた感じで。移動劇団「桜隊」の辺りでやっと物語に追いついた感覚。


物語全体の感想としては、結果的には遺作だったにも関わらず、大林宣彦監督の新しいモノを作ろうという感覚が全く衰えていなかったことに感銘を受けました。たとえば尾道三部作や新尾道三部作のような1980年代や1990年代のアナログ的な手法の撮り方ではなくCG合成を駆使していたり。


たしかに、テーマだけ見ると「今夜で閉館するフィルム映写機の映画館が舞台の戦争映画の歴史」というノスタルジックな物語ではあるけれど、作品の制作手法は決してノスタルジックではなく、最先端を目指そうとしていた。そこに大林宣彦監督の映画監督としての挑戦を見たような気がした。


反戦というメッセージ性の強さが、時に気になったりする場面もあったけれど。向島から船で尾道に渡ってくる自転車の少女、尾美としのり、入江若葉、中江有里に往年の大林作品の影を見る懐かしさを覚えたり(原田知世や石田ひかり、小林聡美、富田靖子は出で来なかったですが)。そして最後は、「やはりこれは紛れもない大林宣彦らしい作品だった」という満足感に包まれた作品。


それはまるで、大学時代や1990年代に、期待と不安が入り混じりつつ映画館へ「ふたり」や「あした」、を映画館見に行った時の満足感に似ていた。


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