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【JPOP論】邦ロックにおける具体と抽象

藝祭に行った。
向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブを目当てに。

向井秀徳のライブに行ったのは、ZAZEN BOYSを含めると3回目である。

私は初期のナンバーガール時代から向井秀徳の大ファン。ライブではいつも興奮しっぱなしだが、さすがに3回目となると少し冷静になって聴いていた。

そこでつらつらと考えたことがあるんで記録しておく。


具体と抽象

私は、昔から地名が出てくるような具体的な歌詞の曲が好きだった。

「そのドアの向こうに」とか「壁は高いほうがいい」とか「振り返らずに走りだせばいい」とか抽象的な歌詞の曲は、好きじゃない。

抽象度が上がるほど、その歌詞に共感する人は多いはず。

向井秀徳の作る歌詞をみると「座敷に上がって30分間 2万5000円の過ち」(ZAZEN BOYS「The Days Of NEKOMACHI」)や「4時半から6時の間 うろうろしてる中野の駅前」(「KU~KI」)、「高層ビルディング8659階から見下ろす夜景」(ZAZEN BOYS「Water Front」)など、やけに具体だ。

もちろん私は30分間 2万5000円の過ちを犯したこともないし、8659階から夜景を見下ろしたこともない。

なのになぜ具体的な歌詞に惹かれるのだろう。

具体に惹かれる3つの理由

①小説のように自己を重ねられる

たとえば、小説。具体だ。
そのストーリーすべてに当てはまる人はいないはず。脳内映像がそれぞれの頭に浮かぶ。
その個々の脳内映像は自分の経験から想像されたものだ。

自分の経験から想像されたものに対して共感も何もない。それは自己そのものだから。

②映画のような生々しさ

具体的な歌詞というのは、そのイメージ、絵が浮かびやすい。

具体的であることは生々しさにもつながる。
生々しさがあればあるほど強く印象に残る気がする。

昔、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を生で聴いことがあるがパフォーマンスを含め、一つの映画をみているようだった。

あれだけ多くの人に聴かれ有名な曲なのにもかかわらず「上野発の夜行列車おりた」ことのある人はほぼいないだろう。

歌詞が具体的であればあるほど、生々しさが表現され人々の印象に残りやすいのではないか。

③現実を感じられる

私は映画においてもファンタジーは好まない。
ぶっちゃけディズニーランドも嫌い。小学生のときに開園とともに入場して昼前に飽きて帰ったくらいだ。

小さい頃から、キャラクターもののアイテムを欲しいと思ったことさえなかった。

音楽の嗜好もそれと似ているのかもしれない。
具体的な歌詞は現実とつながる一つの窓口だ。夢物語ではなく、現実の物語を感じられる。

そういう意味では、私は小さい頃から現実主義者だったのかも。

「ウケる音楽」

かなり昔であるが、小沢健二の個展に行ったことがある。

ある展示によると、最近の音楽は単純なものがウケているとのこと。例えばわかりやすいサビだけが繰り返されるなど。

その反面、自分(小沢健二)は詰め込んでしまう、アルバム「LIFE」は詰め込み過ぎて長くなってしまったと。

確かに小沢健二の曲は長い。

単純なものがウケるというのは、時代もあるだろう。

疑問があってもすぐスマートフォンを開けば多くは解決できる。考える時間が少なくなったからこそ、歌詞もリズムもパッとわかりやすいものがウケるのかもしれない。

最後に

いろいろ整理してみたけど、別に自分が高尚な嗜好を持ってるんだぜ、とかいいたいわけじゃなくて。

ファンタジーが苦手とはいえ「JIN―仁―」とかありえない設定の漫画も好きだし。

Webライターになってから、自分が考えたことを整理するって大事だな、とさらに感じたし、最近になってより音楽に助けられることも多くて。

向井秀徳アコエレを聴いて、ぼんやり考えたことを整理したかったんだ。


ZAZEN BOYSや向井秀徳アコエレなどが出演したライブレポート執筆しています。villa南国で公開されているので、よろしければ。

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