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ラーメンの夜

 月末のせいか、家族全員忙しかった。
「もう、ご飯の準備をして食べて片づける余裕がない!」
……ってことになり、さくっと外食することになった。
「どこに行く?」
「光玉でタンメンは?」
「野菜炒めも食べたいね」
 中華屋さんの野菜炒めはうまい。特に光玉の野菜炒めは絶品。「光玉」は温泉街にある小さな中華屋で、かれこれ二十年も通っているだろうか。二十年……長いような短いような。
 「商い」は「飽きない」が語源なんだって、以前に誰かから聞いた気がするけど、毎日決まった時間に店を開けて決まった時間に閉まる飲食店を二十年続けている人たちは、私のような不定期な生活を送っている自由業の人間には憧れ……というか、神だ。凄いと思う。尊敬しかない。
 「光玉」の女将は今年84歳で、現役で鍋を振っている。
「いらいっしゃいませ〜」という声が、太くて強い。高いけれど厚みのある「人間の声」。絶対に機械では出せない声。この声に迎えられると「生きている人間がいる!」って、ほっとするんだよね。
「女将の声は、いつ聴いてもいい声だなあ。腹の底から声が出ている
。強い声で、元気が出る」
「あらまあ、そんなこと言ってくださるなんて、うれしい。こちらも元気が出ます」
カウンターしかない小さなお店は、この町がまだ温泉地としてにぎわっていた時代から営業している。
「まだ、8時だって言うのに温泉街には人が歩いていないんですから」と硝子戸越しに暗い通りを見て言う。
「駅前も閑散としていましたよ、私はニラ炒めと…」注文しようとしたら「今日は、ニラがないんです」と手を合わせゴメンをされた。
「ニラが高くなっちゃって、とにかく野菜の値上がりがすごくて……」
 確かにニラが高くなった。昔はニラは二束100円くらいで買えた野菜なのに、ここのところ300円に近くなっている。炒めれば少なくなる野菜。ニラ炒めの原価の半分がニラ代になってしまう。それじゃあ商売は成り立たない。
「ガス代も、電気代も値上がりしているし、もう値上げするきゃないんじゃないの?」とさばさば言う私に「でも、この店は庶民の味方ですから値上げしたくないんです」
 えー。だからこのお店、ぜんぜん値上げしないのか?
「これからもっと電気代は上がるんだよなあ」
「経済のことは考えると暗くなりますから、考えないことにしましょ。それより少しでもおいしいものを作ってお客さまに喜んでもらうことを考えなきゃ。おいしいって言ってもらうことがほんとうにうれしいんです。その言葉に元気が出るんです」
 そうか、と思い、出てきたワンタンメンを「おいしい、おいしい」と一生懸命食べた。ほんとにおいしいし。
 女将はお母さんみたな笑顔で私を見ながら宣言した。
「あと16年、がんばりますよ。100歳まで働きます」
「すごいね、そうなったらここにテレビの取材がいっぱい来て繁盛するよ。100歳の女将が作るラーメンを食べに列ができるよ」
「働くことが大好きですから、なるべく長生きして働きたい」
 なるべく長生きして働きたい……マジか。
 女将のこの言葉に、後頭部をハリセンでひっぱたかれた衝撃。なんとまあ、すごいことをさらっと言うのか。働きたいから長生きしたい……とは。お客さんにおいしいと言ってもらえる料理を出して働くために長生きしたい、庶民の味方だから値上げしたくない、崇高すぎる。それに比べて私ときたら自分のことばっかり考えてのほほんと生きて、できれば働きたくない、楽して最期は苦しまないで死にたいとか、情けないことばかり考えている。ああ、こんな自分じゃロクな死に方はできないな、明日から生き方を変えなきゃいかん。

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