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少数派になるのが怖い

「フランケンシュタインの誘惑」というドキュメンタリー、昨日は「ロボトミー手術」の他に「優生思想による断種手術」を先導した
ドイツの科学者であり医師、オトマール・フォン・フェアシュアー博士の物語を続けて見て、下痢になった。消化できない情報は身体反応としての下痢を起こすことを初めて体験した。若い頃よりもダメージが大きい。怒りというものは湧いて来ることがなく、ただ、思い切り下腹を蹴られたようなダメージが来た。年をとるってこういうことなのか?

フェアシュアー博士はドイツ民族のために「病気や障害をもった遺伝子は残してはいけない」ということを人類遺伝学的な立場から確信する。一卵性と二卵性の双子を研究し、結核の発生率がどちらが高いかを比較し、一卵性の方が高かったことからこの結論を導き出す。ちょうど台頭してきたナチスのヒットラーの優生思想とも合致したことから、責任ある立場を得たフェアシュアー博士は、実に効率的な社会システムを作り上げ、彼が「劣っている」と判断した人々の断種手術を決行していく。
「優勢思想」はダーウィンの進化論の登場を受けて、近代化の過程で大流行する。日本でも1997年まで「優生保護法」という名前の法律のもとに堕胎が認可されていたことを考えれば、この優生思想がどれほど根強いものか想像できる。(現在は母体保護法に変わっている)

番組では、第2次大戦後もフェアシュアー博士が罪を逃れ、社会的な責任ある地位を得て生涯を終えたことに対して「優生思想が強かったアメリカの後押しがあって彼は罪を逃れたのではないか?」と問いかけている。ナチスドイツとアメリカは敵同士であったと思い込んでいた私は、それは利権をめぐる戦争において敵なのであって、思想的には大変近しいことに衝撃を受けた。フェアシュアー博士は自身にとって都合の悪い資料は焼却隠ぺいしたが、後に発見された論文などからナチスとの深い関与が明確になったが、彼の研究所はロックフェラー財団の援助を受けており、優生思想はアメリカにおいても強かったことを番組の最後にさらりと伝えていた。

ナチスの時代、強制収容所で医師たちが行った恐るべき人体実験については、実際にポーランドを旅して取材しているが、つい先日、日本帝国陸軍の七三一部隊の中国における裁判記録のテープを伝えるドキュメンタリー番組を観て、日本の医師たちも同じように戦時下で人体実感を行っていたことを知り、その肉声の証言内容の生々しさに衝撃を受けた。戦争の記録は、とにかくなにもかもが衝撃で、その衝撃ゆえに目をそらせることができなくなる。お腹も下るし、心拍数も一気に上がるのだが、それでも知りたいと思う気持ちは強くなり、時間があれば、本を呼んだり、ドキュメンタリー番組を観たりしてしまうのだ。

日本の優生思想については、太田典礼という医師であり後に社会党の議員になり優生保護法の制定に尽力した人物に興味をもちずっと調べていた。彼の思想は過激であることから、晩年はあまり省みられなかったが、逆にもし彼がいま生きていたら、この時代においてはそれほど奇異に思われないのでは? ……そんな気がしてしまう。というのも、遺伝子の解明によって「よい遺伝子を残したい」という欲望を以前よりも多くの人が実現できる時代になっているからだ。

今年、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制された人たちが国を訴えている裁判で初めて国に賠償を命じる判決が言い渡された。でも、どれほどこの事実が報道されたか。さまざまなニュースはコロナの感染者数の報道によって覆われてしまった三年間だったと思う。

改めて「コロナ」って何だったのかな?と思う。この感染対策は人々にどういう影響を与えたのか、その社会的な意味についてはこれから検証されていくだろうけれど、なにかズレていなかったか。先日、屋外の園芸店にいたら店員さんから「マスクをつけてください」と言われた。屋外で周りには客はいなかった。彼は怒ったように私に言った。私は黙ってマスクをつけたが、なぜ彼が怒っているのか、つまり彼が客の私に対して怒りを感じてしまう構造とはなにか?ということを考えた。実際、国は屋外でしゃべらないならマスクを外すようにと指導しているが、それはちっとも浸透しない。

ひとつの「信念」が生まれて、それが他者を多少なりともコントロールできるものであるなら(例えば客に対して言うことをきかせることができる権限として感じられる)、人はそれを使おうとするし、そこから離れがたい。
優生思想は「弱者になることは他者の支配を受けがちだ」という不安と結びついているようにも思える。私たちがマスクを外せないのは、恥ずかしいからとか、慣れてしまったから、というよりも、本音では「マスクを外すとマイノリティになりそうだから」なのかもしれない。多数決の世界においては、マイノリティは弱者。日々、溢れるニュースがそれを伝えている。

話がズレてしまった。優生思想のことをもっと話し合う場があるといいなと思う。遠い世界のことではなはず。今起きていることと密接に関連している。そのことを見るのはとても都合が悪い感じがするけれど……、不都合に目を向ける決断を、いま人間は迫られているかも。


10月は創作を通して自分に向うにはよい季節なので「クリエイティブ・ライティング」を開催します。2ヶ月ぶりの開催です。
10月29日〜30日の土日の午前中です。
https://pekere-co-creative-senter.webnode.jp/

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