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地球が燃えている

世界的な環境活動家として一躍有名になった一人の少女がスウェーデンにいる。

名をグレタ・トゥーンベリという。

グレタは、2018年5月、学校に行くことを止めた。気候変動の危機を訴えるためのストライキだった。

グレタは考えた。

万事が順調だというふりを止めなければ、従来通りを続けてしまい、大惨事に突入するのだ、と。

じきになくなる将来のための勉強よりも、学ぶべき将来を残すために行動を起こすことが先決であるのだ、と。

ずっと地球は燃えている

グレタの勇気と行動は、その後の大きな環境ムーブメントをつくり、世界中の多くの人びとから称賛を受けた。

けれども、グレタは、彼女を称賛する裕福な人びとへも容赦ない。

あなた方の希望などいりません。……あなた方にはパニックになってほしい。私が毎日感じている恐怖を、あなた方にも感じてほしい。あなた方に行動してほしい。危機におちいったときにする行動をとってほしい。家が燃えているかのように行動してほしいのです。だって燃えているのだから

自分の家が燃えていると聞けば、ぼくたちは居ても立ってもいられないはずだ。

では、地球が燃えていると聞けば、どうなるだろうか?

1988年、NASAのゴダード宇宙科学研究所の所長であったジェイムズ・ハンセンは、米連邦議会で証人に立ち、温暖化傾向が人間の活動に関連していると「99%の確信」をもって言うことができる、と証言した。

2021年、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、「人間の影響が大気、海洋及び陸地を温暖化させてきたことには疑う余地がない」と断定した。

ハンセンの確信の残り1%を埋めるまでに、つまり気候変動が問題であることが揺るぎない事実であると全世界に認識されるまでに、人類は実に33年もの時間を費やさねばならなかった。

その間、ずっと地球は燃え続けることになったわけだ。

なぜ地球が燃えているのか?

カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインは、著書『地球が燃えているー気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言』で次にように述べている。

率直に認めるが、私はこの気候変動危機を、自分が長年記録してきた、市場経済の生み出す局所的な危機と切り離せるものだとは思っていない。両者の違いは悲劇の規模と範囲だ。いまや人類のたったひとつの家が存亡の危機に瀕しているのだ。私は常にすさまじい焦燥感をもって、もっと劇的に人道的な経済モデルへと転換する必要性を感じてきた。しかしいまでは、その緊急性の質が変わってきている。なぜなら、期せずしていま私たち全員が、進路を変更することによって想像を絶する規模の生命を救う可能性のある最後の瞬間を生きているのだから。

「市場経済の生み出す局所的な危機」によって、地球は燃えているのだ。

ショック・ドクトリン

資本主義的な市場経済は、「自然は無限であり、私たちは常に必要なものをいくらでも入手でき、たとえ何かの資源が枯渇したとしても、それを切れ目なく置き換えられる別の資源を無限に採取できる、とするフィクション」に支えられている。

そのフィクションが無垢で、善意に基づくものであれば、まだ救いようがある。

ところが、欲望の資本主義は、深刻な危機の発生に便乗して、あらかじめ用意していた公共資産を食い荒らし、少数の特権層の私服を肥やす政策を、こっそり採用させる手法を用いる。

クラインは、これはショック・ドクトリン=惨事便乗型資本主義と呼ぶ。

環境問題においても、ショック・ドクトリンはその力を遺憾なく発揮している。

資本主義はあがく

無限の資源というフィクションを前提としている資本主義は、それでも経済成長することを放棄することはできない。

経済市場は、一方では「心配ないさ」「嘘に騙されるな」「いまさら動いたところで変わりはしない」というキャンペーンをはり、マスメディアを利用して否定論者を跋扈させる。

否定論者を突き動かしているのは、気候変動の科学的事実への反対ではなく、むしろそれらの事実が現実の世界に与える影響への反対なのだ。

しかし他方で経済市場は、さらに膨大なエネルギーを注ぎ込んで、環境問題さえも商品化している。

環境問題に関心をもっている人でさえも、あるときには環境破壊にストップをと発信し、別の機会にはこの商品が環境には優しいと発信する。その一つひとつの連関ーときには矛盾を内包する連関ーについて、本人さえも合理的に説明することは困難となる。

さらに、事態を複雑にするのは、地球工学という分野や、テクノクラート(技術官僚)への過剰な期待である。

ここに、エッジの効いた環境活動家を除いては、みな不真面目で非現実的な環境保護論者であると揶揄される間隙が生まれる。

そしてこの間隙は、ショック・ドクトリンを受け入れたり、見過ごしたりする隙を資本主義に与えてしまうのだ。

だからこそ、次の点が重要となる。

気候危機への真の解決策は、同時にまた、より公正で賢明な経済システムを構築するために一番期待の持てる方策であるという、説得力ある主張をすることだ。新たな経済システムは、大きく開いた格差を縮小し、公共圏を強化すると同時に変容させ、尊厳の保てる仕事を豊富に生み出し、企業の力に抜本的な抑制をかけるものになると訴えなければならない。また、認識の転換も必要だ。…(中略)…進歩派の側は、気候変動についての科学的事実を中心に据えて、野放しの貪欲の危険性と、真のオルタナティブの必要性をめぐる首尾一貫した説明をくり広げなければならない。

資本主義との対決① 公共圏の再生

真のオルタナティブをつくり出すうえで、必要なことは何か?

まずは、公共圏の再生が必要だ。

気候変動は集団的な問題であり、解決のためには集団的な行動が要求される。この集団的行動が求められる重要分野のひとつに、排出量を大規模に削減するための計画的な巨額な投資がある。

具体的には、地下鉄や路面電車などの公共交通機関をあまねく敷設し、かつ誰もが利用できる価格で提供することや、エネルギー効率のよい安価な住宅の建設などが検討されなければならない。

これらは、経済的には採算がとれない場合もあり得るため、公共部門が担うべきものと考えられる。

資本主義との対決② 企業と富裕層の責任の追及 

また、富裕層対策も必要だ。

クラインは、環境危機への対処としては、「経済の効率を改善するだけでなく、地球上で最も裕福な20%の人びとが消費する物質の量を減らすこと」の必要性を指摘する。

比較的裕福な人々の過剰消費がこの危機の中心にある。つまり、世界でもっとも熱狂的な消費者たちが消費を減らす必要があるのだ。そうすることで、他の人々が生活するのに十分な資源を確保することができるようになる。

CO2はすべての人が平等に排出しているわけではない。経済的な豊かさに比例して排出量は多いのが現実だ。例えば、CO2を大量に排出するプライベートジェットだったり、大型車の複数台の所有などは、経済的に豊かでないと実現できない。

では、そのツケは誰が払っているのか?世界的に貧困層の多い地域、いわゆるグローバルサウスだ。

クラインは言う。

極端に不平等な社会で、深刻な不正義が人種間を分断しているときには、災害がわれわれみんなを「人類はひとつの家族」として団結させることはない。災害はすでにある分断をさらに深める。災害以前にすでにひどい目にあっていた人々は、災害のさなかにもその後にも、もっとひどい目に会うことになるのだ。

ホンジュラスからブラジルをはじめ世界各地で
は、その地に住む者たちが採掘事業、森林破壊、巨大ダム建設を止めようとするとき、物理的な戦争が実際に起こっている。

国際NGO「グローバル・ウィットネス」は、以下の事実を告発している。

2015年には、破壊的な産業から土地、森林、川を守ろうとした人々が、平均して週に3人以上殺されました。……この数字は衝撃的であり、環境問題が人権の新たな闘いの場として浮上している証拠です。世界中で、産業界は新しい領域にさらに深く押し入っています。……彼らに立ち向かう地域住民たちは、企業が雇う民間警備隊や政府軍、そして繁盛するプロの殺し屋の矢面に立たされているのです。

ここであえて言うと、グローバルサウスという問題が視野に入ってこないのは、富裕層だけではない。ぼくたちには、富裕層に憧れる機会は幾度となく訪れる。だがその一方で、貧困層に思いを馳せる機会は、滅多に訪れない。

それは、ぼくたちが貧困層を見なくてもいい環境にいるからである。いやもっと言えば、あえて見ないですむ環境をつくっているからなのだ。

「目に見えないものは、私たちに害を及ぼすことはないし、存在しないのと同じ」であると考えることは、資本主義社会が大切にしている信念の表明に過ぎないのかもしれない。

私たちの経済は、故意に見ることをやめた幽霊たちで成り立っている経済だ。

誰もが平等に環境問題の原因となる大量消費を行えるわけではない。

だからこそ、企業や富裕層こそが消費量を減らすべきだとクラインは鋭く批判するのだ。

資本主義との対決③ 企業献金の廃止

さらに環境危機への対処の費用は、企業や富裕層に課税することで賄うべきだ。

具体的には、炭素税の導入と金融投機への課税強化が挙げられる。

米国だけでも年間200億ドル(約2.2兆円)にも上るという「化石燃料産業へのばかげた補助金」も廃止されるべきだ。

しかしそうすると、企業は徹底した抵抗を行うために、ロビイング(ロビー活動)をいっそう強化するだろう。

こうして企業献金を当てにする政治家は、真正面から環境問題に取り組むことができなくなる。

であれば、選挙のあり方そのものを変えなければならない。

何よりも効果的なのは、企業献金を廃止することだ。

選挙を公的資金だけで賄わなければならないとなれば、政治家は企業の顔色を窺わずに自らの信念を貫いた政治が行えるはずである。

資本主義との対決④ もうひとつの世界観の提示

最後に資本主義に対決するために、最も必要なことを指摘しておこう。

それは、資本主義に対抗する大衆運動が盛り上がり、無慈悲な未来像に取って代わる、実現可能な別の選択肢=別の世界観を提示することだ。その世界観とは、「ハイパー個人主義ではなく相互依存、優位に立つのではなく互恵主義、上下関係ではなく協力に根差した世界観」である。

それは次のように言い換えることができる。

「何がなんでも経済成長や利益を追求する」ことを中心に据えない秩序に基づき、限りない「テイキング」(略奪)の文化から、同意と「ケア・テイキング」(世話をする)の文化への移行である、と。それは地球をケア(保護)し、お互いをケアする(世話する・癒やす)ことを意味するのである。

気候変動の危機から脱するためには、あらゆるレベルで「ギグとディグ【単発請負と採掘】」の世界観が「ケアとリペア(世話と修復)」の精神へと転換することが不可欠だと固く信じている。土地を修復し、自分の周りのものや人との関係を修復する。そして、恐れを乗り越え、それぞれの国の中での関係性を修復し、国どうしの関係性も修復しなければならない。–【 】内は引用者

資本主義との対決⑤ 環境アクションの主体者になる

クラインは、「気候変動を止めるために、個人として何ができるか」という質問に対して、「あなたひとりでは何もできない」と答える。

この回答の真意は、気候変動を止めるという「この途方もない挑戦には、私たちが一緒になって、大規模で組織化された、グローバルな運動の一環としてこそ挑むことができる」ことを強調することにある。

気候変動は、個々人の心がけの問題だけでは変わらない。それは社会システム全体の問題であり、システムを変えなければ気候変動は止まらない。気候変動を止めるためには、グローバルな運動が必要であり、そこにこそ多くの関心と行動を集中させなければならない。

といっても、その出発点は個人だ。あなたひとりでは何もできないかもしれないが、それでもなお、あなたひとりから始めなければならない。

そして、すべてを変えなくてはならないのだ。

とはいえ、「皆さんが個人として、すべてを行う必要はないのです。あなたの肩にすべてが懸かっているわけではありません」とクラインはフォローする。

というよりは、個人で「あまりに多くのことをしようとしすぎること」への警鐘を鳴らしている。

では、どうすればいいのか?

私たちは、自分たちの存在を持続させることに資する活動を自由におこなえばいい。そうするとことで、この運動を長く持続することができる。そして、それこそが私たちに必要なものなのです。

一人ひとりが楽しみながらグローバルな環境運動を持続させることで、「変革のプロジェクトの底堅さ」をつくっていけるのだ。

グリーン・ニューディール

地球が燃えているなら、消火活動をはじめとした防火安全対策の計画が必要である。

変革の歴史が教えてくれのは、単に抵抗し、「ノー」と言うだけでは、勝利は決して手に入らないということである。

真の危機の瞬間に勝利するには、大胆で前向きな「イエス」が必要なのです。つまり、その危機を引き起こした原因にいかに対処し、社会を再建するかについての計画が必要だということです。そして、その計画には説得力と信頼性が必要であり、そして何よりも魅力がなければならない。すっかり意気消沈してしまった人や民衆が、より良い世界を思い描くことができるようなものでなければなりません。

クラインは、大胆で前向きな「イエス」として説得力と信頼性がある魅力的な計画が、グリーン・ニューディールであると主張する。

そしてそれは、これまで何度も目にしてきたような、燃えさかる火に水鉄砲をかける訓練をするような小出しのアプローチではなく、実際に火を消すための、包括的で全体的な計画である。とくに、その考えが世界中に広がれば可能性は高く、それはすでに起こりはじめている。

では、グリーン・ニューディールの特徴はどのようなものか?いくつかを列挙しておく。

❶大量の雇用を創出する
消費エネルギーの半分を再生可能エネルギーに移行することで、新しい雇用を増やす。

❷公平な経済を創りだす
グリーン・ニューディールの実施にかかるコストについては、世界規模での最低法人税率の設定やグリーン債権の発行、金融機関の莫大な利益への課税、軍事予算の削減、富裕層への課税などによって賄う。

❸火事場の馬鹿力を引き出す
行動の必要性を説くことに精力を費やすのではなく、すべてのエネルギーを実際の行動に注ぎ込むことを余儀なくする。

❹先延ばしができない
先延ばしの誘惑は、これまでに地球に大きなダメージを与えてきた。10年という期限を設け、これ以上先送りせずに化石燃料の使用を止める必要がある。

❺バックラッシュを起こさない
CO2の排出量を減らすと同時に、働く人びとへの経済的負担をも減らす政策を実現することで、生活者のバックラッシュ(反発)を引き起こさない。

❻幅広い支持者を集めることができる
最も脆弱な労働者と最も排除されてきた地域を、汚染の削減と結びつけ、さまざまな分野が交差した大衆運動を動員する。

❼新しい同盟関係を築き、右派を出し抜く
被害に苦しむ地域に仕事と資金をもたらす実体のあるプロジェクトは、恐怖を煽る宣伝やデマから人びとを守る。

地球が与えてくれる手段の範囲内で全員のニーズを満たすこと。それを実現できる経済へと転換しなければならない。

残された時間はほとんどない。

けれども、「もう遅すぎる」と絶望してはいけない。絶望こそが、ぼくたちに立ちはだかる最も大きな障壁だ。

ぼくたちは、ゼロから始めるわけではない。ぼくたちの前には、積み重ねてきた実践と歴史的事実があり、先駆者がいる。

クラインは強調する。

あらゆる生命の未来が懸かっているいま、私たちに達成できないことなどないのだ。



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