脱成長社会の展望
止まることを知らぬ大量生産と大量廃棄。
減らない長時間労働と広がり続ける格差。
歯止めがかからない気候変動と環境破壊。
これらは資本主義の矛盾や限界と言われる。
だったら資本主義を再構築すればいい。
いや、資本主義の再構築では不十分だ。
資本主義に変わるものが必要ではないか?
資本主義のオルタナティブとして、いま「脱成長論」がにわかに注目を集めている。
「脱成長論」を学ぶことを目的に、ヨルゴス・カリスらによる共著『なぜ、脱成長なのか 分断・格差・気候変動を乗り越える』を手にとってみた。
脱成長論とは何か?
脱成長論とは、経済成長の追求をストップして、生活と社会の視点をウェルビーイングに置き直すことを主張する議論である。
ウェルビーイングとは、幸福な状態であり、ゆたかな状態を表す言葉だ。
脱成長は、すべての人びとが真の意味でゆたかな暮らしを送ることを目指す。
そのために、既存の資源をどう分かち合えばいいか、について考える。
それは、より少ないお金で、より少ない搾取と環境負荷で、よりゆたかな暮らしを実現するための投資について考えるということでもある。
脱成長は清貧思想か?
人びとが脱成長について考えられるようにするためには、成長を追求するのは自然な本能であるという一般的な確信を揺さぶらなければならない。
脱成長論が目指すコモンセンス(共通の分別としての常識)は、「多くを分かち合い、不足を少なくする」、「ほどほどで満足する」といった認識である。
こう言うと、脱成長は人びとに我慢を強いる清貧思想だという批判を受けるかもしれない。
しかし、それは違う。
脱成長とは、不足や欠乏を強いられることではない。誰もが尊厳を保ち、不安を感じず、友情や愛情や健康を実感して生きていくこと、そうした生き方をするのに充分な環境の確保を望んでいる。お互いを世話し合い、支え合い、余暇と自然を楽しみながら生きていこうとするのが、脱成長なのだ。
さらに言えば、脱成長はテクノロジーの進歩を否定し、昔の過酷な労働時代に後退することを意味するわけでもない。
むしろハイテクを利用した大規模な生産体制には今後も役割があると考えている。
脱成長社会の2つの条件
脱成長社会には2つの条件がある。
❶互いのケア
ケアとは、看護、介護、保育、世話、手伝い、配慮など、さまざまな形で手を差しのべ、誰かのために役に立とうとすることだ。
❷コミュニティの連帯
具体的には、共有財産(コモンズ)を共に管理するということだ。
脱成長のための5つの改革
【改革1】成長なきグリーン・ニューディール政策
脱成長論は、グリーン・ニューディール(GN)政策を提唱する。
しかし、それは既存のGN政策とは正反対のものである。
既存のGN政策は、「緑の成長」(環境にやさしい経済成長)と繁栄(所得と富の増加)の実現を目指す。具体的には、再生可能エネルギーの迅速かつ大々的な導入などに取り組む。
脱成長のGN政策は、GDPの成長には背を向け、「健康、幸福、環境」を重視する。そもそも使用するエネルギーと資源の総量を減らすことを要求する。
【改革2】所得とサービスの保障
脱成長論は、ユニバーサル・ベーシックサービス(UBS)とユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)の導入を提唱する。
UBSとは、誰もが基本的に必要とするサービスである。教育や医療を全員に提供し、食べ物や住まい、公共交通機関、インターネットへの手ごろなアクセスを保障する。
UBIとは、住民の一人ひとりに対して所得を無条件で支給する仕組みだ。UBI導入の目的は、①貧困を軽減し、生産性を向上させること、②搾取的な雇用から労働者を解放すること、③環境を破壊する体制から決別することである。
【改革3】コモンズの復権
脱成長論は、コモンズの復権を提唱する。
つまり、水道とエネルギーの供給、ごみ処理、交通機関、教育、医療、保育といったコモンズ(共有財産)を市町村や消費者協同組合で運営していく必要性を説くのだ。
また、土地も公共空間として取り戻すことも目指す。
例えば、使用されていない区画を広場や公園に転用する、料金やアクセス問題を見直して海岸や森林、山などの自然と市民が触れ合えるようにする、活用されていない公共施設や民間施設を地域の協同組合に利用させるなどが考えられる。
【改革4】労働時間の削減
脱成長論は、労働時間の削減を提唱する。
それは、市場のための生産を行う労働を減らすということである。
その代わりに、労力や時間の使い道を自分で決められるコミュニティの活動を増やす。
脱成長のビジョンでは、生産量と消費量の両方を減らすことを求める。
労働時間を総体として削減すれば、炭素排出量をはじめとして環境に与える負荷が減少する。また、労働時間が短くなることで、生産する量も減り、消費する量も減り、お金を伴わない活動(レジャー、ケア、コミュニティへの参加など)に使う時間が増える。それが健康的でレジリエンスを備えた社会をつくっていく。
労働時間の削減の具体例としては、ワークシェアリング、有給休暇を増やす、育児・介護休暇の制度を充実させる、サバティカル休暇(理由を問わない長期休暇)を導入する、時短勤務などが挙げられる。
【改革5】環境と平等のための公的支出
経済成長を前提としない中で、【改革1】から【改革4】までの財源はどうするのか?
脱成長論の財源に関する基本的な考え方はこうだ。
社会を維持するもの、つまり労働への課税はやめなければならない。代わりに、社会を破壊するもの、つまり環境破壊や不平等に課税すべきなのだ。
具体的な課税方法としては、①炭素税等環境破壊に関する税金の導入、②化石燃料の探査と開発に対する助成金をなくす、③健康に好ましくないものへの課税、④プラスチックの使用に対する課税、⑤頻繁な飛行機利用に関する課税、⑥奢侈税、⑦富裕層への課税強化、⑧累進課税の強化が挙げられる。
さらに重要なこととして、カリスらは「所得に上限を設定する、もしくは急激な累進課税率を導入して、最大所得を抑制すること」を提唱する。
すでに世界のさまざまな企業や非営利団体や政府機関において、組織内の最高報酬額と最低報酬額の格差を8対1以内に収めるという、「ウェイジマーク」と呼ばれる国際認証基準が導入されている。2016年、アメリカのオレゴン州ポートランドで住民投票が行われた結果、この比率が一定水準を超える企業は高額の課徴金を払うことになった。
経済に対する資本投入のあり方にも思考の転換が必要だ。
現在では民間銀行の貸し付けを通じて、つまり債務を伴って市場に貨幣が創出されていますが、公共貨幣(ポジティブマネー)であれば、国家は債務をつくらずにお金を創出し、それをグリーン・ニューディール政策やユニバーサル・ベーシックサービスなど、社会に役立つプロジェクトに使うことができます。
最初から完璧を目指さない
ところで、社会変革のためには、「共進化」が必要である。
共進化とは、「個人が行動し、他者とつながり、新たな関係性を築き、さらなる規模で政治改革を求めていく」ことだ。
つまり、社会変革の推進力はネットワーク化なのである。
では、どれだけの人が賛同し、行動を起こせば社会は変わるのか?
カリスらは、下記の論考をもとに、少数派(マイノリティ)による社会変革であっても「人口の25パーセントが支持すると、その社会改革は一気に進行することが明らかになっている」と言う。
「脱成長コミュニズム」を提唱する斎藤幸平は、著書『人新世の「資本論」』の中で、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、世界が大きく変わるという研究があることを紹介している。
要するに、100%の人びとに納得してもらう必要はないのだ。過半数の同意すら必要ない。3.5%から25%の人びとの理解と行動変容を獲得できれば良いのだ。
行動変容も最初から完璧を目指さなくて良い。
けれども、次のような批判に遭遇すると、脱成長なんて無理なんじゃないかと思わされる。
日本で脱成長論を唱えている知識人は、たいがいがお金持ちだ。彼等は大学からの給料のほかに、講演や本の印税で副収入を得ているし、昼間からフレンチを食べたり、高級車を乗り回したりしている人もいる。
(出典:井上智洋『「現金給付」の経済学 反緊縮で日本はよみがえる』)
どれだけ多くの人びとの共感を得ていくかという点で、言行不一致は重要な倫理問題であることは確かだ。
大勢の人びとを出し抜き、一人勝ちを収めるための詭弁として、脱成長論を利用しているなら厳しい批判に晒されるべきだ。
ただ現実としては、今の生活を簡単に手放せないと考えていると同時に、今の生活に持続可能性がないのであればどこかで変えていきたいと考えている。そんな人が、一定数いるのではないか。
自分の中の矛盾に気づき始めた人びとが脱成長論に興味を持ち始めている。これが正しい理解ではないだろうか?
倫理的な批判というのは、有無を言わせない正しさを持っている。
けれども、もう少し他人の不完全さに寛容であってもいいのではないか。
言行不一致はどうしても生じる。よく聞く表現を借りるなら、言行不一致が7つより多ければ、確かに偽善者と言えるかもしれない。反対に言行不一致が4つ未満なら、のめり込みすぎて暴走している可能性も考えられる。
誰でも言行不一致は4つから7つはあるものだし、むしろそれくらいが適当なのだ。
カリスらのこの言葉は、自らの矛盾に気づき脱成長を考え始めた人びとに勇気を与えてくれるのではないだろうか?
この記事の参考文献
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