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傷つくべき時に傷つけない弱さを抱え込んでー女のいない男たち(村上春樹)

『ウィスキーを飲みながら今日あったことを回想して瞑想するってね、昔の男性には多かったと思うけど。』

先日、毎月通院している東洋医学系の診療所の先生に、瞑想をおすすめされた。
日々の小さな出来事を自分なりに捉え直し、消化していくことが身体に良いらしい。
その時に言われた言葉だ。
昔だけなのか、今もなのか。男性だけでなく女性にも言えることなのか。わたしには一般論はよくわからない。
だが、少なくともわたしは女性だが、夜に一杯のウイスキーを片手に物思いに耽るタイプの人間であることは断言できる。
自分の心の声を聞くことが、とにかく好きなのだ。

【女のいない男たち】は、村上春樹による、何らかの形で女性を失う経験をする男性たちを描く短編集だ。

恋愛小説かと思いきや、村上春樹ワールドが随所に炸裂している。ハルキストにとっては、贅沢な短編と言って良いだろう。
個人的には、あまり写実的な恋愛小説は物足りない。目に見えない、読み取れないものを求め続ける姿こそが、愛し愛されたいと願う人間の本質なのではないかと思うからだ。
追い求める男の姿がリアルで良かった。

中でも私がお気に入りなのは、「木野」だ。
これは自分の心の声を聞くことができなかった、男の話だ。

同僚と妻がベッドを共にしている瞬間を目の当たりにし、長年勤めた会社を辞めて叔母から引き継いだ喫茶店をバーに変え、細々と生活している"木野"という男が主人公である。

離婚協議中の妻がバーを訪れる。その時に木野が妻からかけられた言葉が、わたしにとって非常に印象的だった。

『傷ついたんでしょう、少しぐらいは?』

別の男との情事を夫に見られてしまった女が夫にかける言葉ではない、とわたしは思った。

『あなたは"こんな事"で傷つくような人ではないものね?そんな感情持ち合わせてもいないわよね?』と言いたいのだろうか。

そしてこの後、彼女は夫に謝罪する。あんな姿を見せてしまい、申し訳なかったと。でも、遅かれ早かれ結論は変わらなかったと言うのだ。

そのように残酷な言葉を並べて去った妻は、木野と暮らしていた時よりも贅肉は落ち、すっきりとした短い髪になり、はつらつとした印象を与えるような姿に変わっていた。
彼女はおそらく、手放したのだろう。木野との結婚生活を送る自分への怒りや強い悲しみを。

木野は、
「僕もやはり人間だから、
 傷つくことは傷つく。少しかたくさんか、程度まではわからないけれど」。
というのだが、実際はきちんと傷ついていなかった。
そう、"きちんと"傷つかなければいけなかった。

何かを喪失したとき、人はそこから立ち上がるには、自らの傷つきを認め、悲しみを受け入れ、癒されていくプロセスが必要だ。

木野は、正しく傷つかなかった。妻との関係や、あるいはこれまでの自分の人生の中で。

バーで出会った謎の男・カミタに言われた。
あなたは正しくないことはしなかった。でも"正しからざることをしないだけではいけない"のだ。
自分にとって、正しいことをなさなければいけないのに、木野はそれをしなかった、と。

そしてある日猫が去り、木野は蛇に蝕まれていく。
カミタに言われるがまま、各地を転々と旅してたどり着いた熊本のビジネス・ホテルで、深夜2時に激しくドアをノックされる音を聞く。
しかし本当は、ノックされているのはドアではなく、自分の心だった。

"どうしてあの時、わたしの声を聞いてくれなかったの?"

そうした心の叫びが、ノックとして現れる。本当は自分自身が望んでいたノックなのに、同時に恐れていた。

木野はその訪問が、自分が何より求めてきたことであり、同時に何より恐れてきたものであることをあらためて悟った。そう、両義的であるというのは結局のところ、両極の中間に空洞を抱え込むことなのだ。


これは、ダンス・ダンス・ダンスで見せたいるかホテルから通じる僕の深淵、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドで見せた意識と無意識の狭間にもよく似ている。

本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心の感覚を押し殺してしまった。痛切なものを引き受けたくなかったから、真実と正面から向かい合うことを回避し、その結果こうして中身のない虚ろな心を抱き続けることになった。


もし、過去の人生の中で、自分の痛みを責任を持って引き受けることができていたとしたら。
夫婦関係は、少しでも良い方向に進んでいたという可能性もゼロではないと思うのだ。
(妻の濡れ場を見てしまった時にはもう遅いが)
生きることは自分の感情や行動を引き受けて、責任を取ることである。そしてその姿こそが人間関係に必要な信用になる。信頼はできても、信用がない人間関係は、常に孤独だからだ。
だから、妻にはあのような言葉が吐けたのだ。
『傷ついたんでしょう、少しぐらいは?』
もうこの時には、信頼ですら一欠片も残っていなかったのではないだろうか。

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村上春樹の作品は、メタファーを多用して直接的な答えを読者に持たせない印象が強かったが、本作では間違いのない答えを見つけ出した。
最後、木野はある部分で癒されている。

短編でまとめあげるのに相当に時間がかかったことを、村上春樹本人が前書きにて語っていたが、こちらにも伝わるだけの複雑さであった。村上春樹の長編作に通じるような世界観が、わたしの欲を満たしてくれた。
主人公だけでなく、こちら側をも同時に癒やしプロセスへと誘うような象徴的で呪術的な物語を彼は届けてくれるのだ。

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