13歳からのアート思考(末永幸歩)
一枚の絵画を見て、あぁきれいだな、
で終わらせず、どこからそう思う?そこからどう思う?と思考を深めていく。
それは過去・現在・未来をつなぐ自己探究のような、他者とのつながりを感じることができる行為だ。
絵の横の解説を読むよりも、断然面白いのだ。
本書は、美術の歴史を追いながら、少しずつ歴史背景とともにアートの変化・変容も学べる。
美術とはなんぞ?むしろ美術は苦手…
という人にこそおすすめしたい。
「絵が上手いとはこういうことだ」「この形や色はこうあるべきではない」…
学生時代の美術の先生や、周りが言っているのを聞いたり、実際に自分が言ったり、言われたりしたことはないだろうか。
頭ではそれらが固定観念だとわかっていても、いざ「箱を描いてみてください」と言われると、立体的な遠近法を使って描こうとする人が実に多いのだ。
私たちの多くは、画家たちの咲かせた完成した絵という"花"だけを見ていると本書は指摘している。
その下に隠されているのは、画家たちがもがき苦しみながら根付かせた"探究の根" 。
すなわち、彼らの思考、もしくは彼ら自身であるといっていいだろう。
花の下に隠されたそれを、どう紐解き解釈していくのには、正解がないのだ。
日本は、小学生になると途端に学校という閉鎖的な場所の中で平等思想を身につけることを強いられるように思う。
脱線すると、無理矢理にでも元の線路に戻そうと圧力をかけてくるのだ。算数についていける、いけない、鉄棒ができる、できない、時間通りに動ける、動けない、など…
にもかかわらず、社会人になると途端に、
「あなたは他の人と何が違って、何が出来るのか?」「あなたはどう考えるのか?」「主体性を発揮しなさい」と、言われるのだ。
私はこれらを自らも経験したが、これはある種暴力的な状況だと言えると思う。
「あなたはどう思いますか?」ではなく、「これはこういうものですから覚えましょう」「それ以外の回答は間違っています」と言われ続ける10代を過ごすのにもかかわらず、だ。
コミュニケーション能力が高かったり、容姿に優れていたり、何かたまたま社会価値として恵まれたものを持ち合わせていない限り、「違い」は劣っていて、悪いことなのだと知らずのうちに刷り込まれ、ついに就職活動で躓く。突如、『人と違うことをしなければ!』と、あせる。
本来はきっと、社会的な価値観に触れる小学生の頃から、一つの同じ"絵"を見ても、人によって見え方は異なるし解釈も違う。それこそが個性でありあなたらしさなのだ。と教育していくことが必要なのではないか。そこで、明らかに社会的に悪とみなされる思いが芽生えたにしても、それを恐れず対話することでもっと生きやすくなるのではないか。
本書はそこまで言及はしていないが、そんなことも考えさせてくれた。
自分なりのアートへの関わり方をこの本のおかげで見つけだすことができそうだと思えた一冊。
そう、一歳の息子の描く絵にも、アートがあるのだ。
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