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限界を超えた先にあるものーねじまき鳥クロニクル(村上春樹)


読み終えて、しばらくはこちらの世界に帰ってくることができなかった。
読んでいた時、息子が熱を出してしまったり、家の中が少しゴタついていてわたし自身が疲れていて、極限状態だったことも影響しているかもしれない。
まるで泥の中を這いつくばって歩いているように感じた。出口が見えず光も見えない、ただそこにあるのは自分以外の人間が作っている外の世界が何故かわたしの人生を作っているという絶望だった。

ねじまき鳥クロニクルには様々なキーワードが出てくるが、『これを伝えたくて書いたこういう小説です』という意味合いをつけることが、読者側としてなかなか難しい。

ただひとつわたしが気になったのはやはり『戦争』だった。

戦争は、一番わかりやすく人間の欲望や暴力、地位や名誉や集合的無意識などが浮き彫りになる。
人間とは一体どういう生き物なのか?を考える時、戦争史を振り返ると良いかもしれない。そこには極限状態の人間の姿がある。

村上春樹が描く戦争は、胃がしくしくするほど痛みに溢れていた。
その時感じた痛みは、【戦争は女の顔をしていない】というノンフィクション本を読んだ時の感覚と似ていた。

ねじまき鳥クロニクルの中には戦争であらゆるものを得た人間、失った人間がいた。
その姿がありありと書かれていて、中には巻き込まれた動物たちの姿も鮮明に描かれていた。

"あなたはこの人生で何を犠牲にして生きているのですか。"
"あなたは何故今、生きようと思うのですか。"

そう問われた気がした。
最後、猫は帰ってくるしクミコもきっと帰ってくる。亨は生きているし、生きていく。ねじまき鳥クロニクルはハッピーエンドだ。
でも、悪は倒された…わけではない。
ワタヤノボルという人間は悪しき物語を必ずどこかに置いてきたとわたしは思っている。

数年前に、バビロンというアニメを観たことがある。
多くの人間が延命治療などにより死にたくても死ねない世の中を変えたいがために自殺法を世に送り出すかどうか、全世界の大統領が話し合っていたシーンがあった。
アメリカ大統領は最後、『善いこととは、続けることだ。』と結論を出した。
何かを続けることは、果たして善いことなのだろうか。
たしかに、善いことの中には続けることは含まれているかもしれない。
でもそんな単純なことではないとも思うのだ。

悪は意外と単純といえるかもしれない。
何かを征服したがり、何かを抑圧したがり、何かを唆し、何かを貶める。
人を唆し征服することなど意外と簡単に出来てしまうし、人は簡単に罠にはまる。
人生は穴だらけで罠に溢れていると言っても良いだろう。

一方で、善いこと、善に関して言うとこればかりはどうも定義が難しいと思うのだ。

そもそも難しいこの定義があるにも関わらず、戦争では、多くの善い(とされている)ことが悪い(とされている)ことに変わり、悪い(とされている)ことが善い(とされている)ことに変わる。

戦後日本は、その善いということ、"より善く正しく生きる姿とは何か"を自分たちで考えてこなかった。全ては敗戦国だったからという理由だ。
しかし、ものを言えない状態になったのは戦争に負けたからだ。では、あまりに無責任ではないだろうかとも思うのだ。
価値観がひっくり返る中で、倫理観のかけらもなかったのは日本だけではないだろう。
これはまさに負けたら何にも言えない、という価値観の刷り込みである。わたしたちが一生懸命に学んだ歴史教育の賜物であろう。皮肉にも程がある。

負かされる側は常に何も言えないのか?
そうじゃないだろう。
どこかでみな知っているけれど、戦争に負けたということを根底にして潜む闇は深い。
日本でフェミニズムを初めとする多くの弱きものの声が抑圧される背景は、いつまでも敗戦国であることを理由に"自分たちの日本国"を作り上げられていない日本人の思想にあるのかもしれない。

それでもわたしは希望を持ち続けたいと思う。
これからの日本に、自分に、だ。
願望、希望を持つことはやめられない。
人間は生きている以上、どうしても何かを望んでしまう。そこに意味はなくても。

今の日本はある意味で極限状態だ。戦争こそ起きていないが、目に見えない形でたくさんのせめぎ合いが起きている。

極限状態の時、人は本質を見る。
いわゆるエピファニーと呼ばれる瞬間は、おそらく死に近い感覚ではないかと思う。
死に向かって歩んでいる感覚は、反対にそこにある生をまざまざと明確に意識させるものにもなる。

その瞬間を、ノモンハンで突き落とされた井戸の底で見てしまった間宮中尉は、『自分はそこで死ぬべきだった』と言っていた。

あなたが極限状態の時に見る景色はどんなだろうか。
そこには必ず、生きる意味とかそんな浅い自我ではなく、絶望があり真理があり、そして希望が見えてくるはずである。

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