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あいなき世界で生きてゆくー光る源氏の物語(大野晋 丸谷才一)


日本語学者の大野氏と小説家の丸谷氏による、宇治十帖を含めた源氏物語についての対談をまとめた本書。

源氏物語を読んだことがない人にも、ところどころに引用もあり、話の流れをひとつずつ丁寧に追っているので読みやすいためおすすめしたい。

対談は男性視点での源氏物語の読み方にはなるものの、日本語学者の大野氏は女性の視点もあらゆる書物から引っ張ってきて引用しながら読み込むため、非常に深い考察だった。
宇治十帖の箇所ではシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』からの引用もされており、女にとっての結婚や男性との関わり方、一夫多妻制の当時の女性の心のうちを、細やかに分析され書評している。
女になるということは、過去と永久に絶縁することなのだ。年齢を重ねて、経験して、今だからわかる大君の気持ち、浮舟の気持ちが宇治十帖にはあった。

また、源氏物語本編の読み方にはa群b群など何個かの筋に分かれており、読む順番に関しても新たな発見があり興味深かった。

源氏物語を通して文学についての言及もあり、なるほどなと腑に落ちた。
ちゃんと人間というものを掘り当てており、魂の底に達する文学だからこそ、救いのある物語がかける。どの層の人が読んでもどの解釈をされてもそれなりに面白い、それが大文学である、と。
また、小説というのはマイナスの方向からの人間の探求である。
スキャンダルは小説になるが、美談は小説にならない。痴と愚との探求を通じて人間を描がくのが小説だと。

個人的にはこの部分にはは村上春樹の小説にも同じことが言えると思うのだ。
そしてまた、村上春樹は女について考えるとき、高校生の時「村上君ちょっと」と言って突然自分の手を引いて教室の外へ連れて行った女の子を思い出すらしいのだ。(「みみずくは黄昏に飛び立つ」より)
女=別の世界に導かれるようなキーとなる存在、という認識なのだろう。
自らを別次元へと引っ張って行く存在を"女"と"夢"にしてるところは源氏物語も同じだ。

宇治十帖については少し見方は変わり、源氏物語に比べて非常に写実的だ。
だから面白味にかけるが、逆に、だからこそ面白い。
"あいなし"な世界でみな生きている。
思う通りに行かない、不調和や不本意がありながら生きてる。それが現実だし、生きるということだ。
紫式部は浮舟の生き方を通じて、女の自由意思を痛々しく表現していると私は思う。


本書内の引用で心に残ったフレーズを残しておく。

"偶然の重なりが
必然につらなっていく"
"悲劇というものは、
必然性の衝突がもたらすものだ"
"「人生は考える人たちにとっては喜劇だが、感じる人たちにとっては、悲劇である。」
Life is a comedy for those who think... 
and a tragedy for those who feel.
- Horace Walpole"
"【ありと見て 手にはとられず 見ればまた ゆくへもしらず 消えしかげろふ 】"
現代語訳は、
【目の前にいたのに、手にすることはできなかった。見えたかと思えば行方も知れず消えてしまった。あの蜻蛉のように。】

光源氏というこの世の光がいた時代と、光がなく匂いと薫だけが残る時代を描いた紫式部。
男を通した女の生き方は華やかでありしとやかであり狂おしい。

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