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東京グランドキャバレー物語★28 麗しのチャイナ ボーイ

 店には三人のボーイがいた。
どの子も出身は、チャイナである。
 ボーイの仕事は、ビールや焼酎、グラスや割り物の氷、ミネラルなどを運ぶ単純作業である。接客もなく、黙って運ぶだけの仕事は、日本に来たばかりの彼らには体の良いアルバイトだった。
 日本語もあまり出来ないボーイたちも、黒のズボンに白いワイシャツ、蝶ネクタイを締めると、どこから見ても立派なボーイに変身する。

 顏が整った若く俳優並みのムーンチェンが、ステンレスのトレイにグラスを乗せ、席の間をせわしなく行き来している。
「まったく、ムーンは愛想がないわよね~。ニコリとすれば、可愛いのに。勿体ないわよね~。損しているわよね~」
 自分の父親は、ロシア人なんだと、ホステスの皆に公言している日本人顔のクララが言った。どこから見ても、ロシアの血は混ざっていないようにお見受けする。信じているホステスは、誰一人いないが、彼女が自分自身をロシアのハーフと言えば、そういう事になる。

「三人の中でムーンが一番のイケメンじゃない?私があと三つぐらい若かったら、彼とどうにかなっていたかもしれないわ」
 ロシア人ハーフもどきクララは、ムーンチェンを目で追う。まるで獲物を狙うハンターだ。50代はいっているであろう彼女とムーンチェンとは、親子ほどの歳の差カップルとなる。相思相愛の秘密の恋なら誰も、とやかく言わないが、少々超える壁は高過ぎやしないか?

 お客様のコウさんが、飲んでいたビールをあわや噴き出しそうに言った。「どうにかなるって?そりゃあ無理な話だって!天と地がひっくり返ったっておまえさんが襲わない限り、ない話しさ」
 ムッとしたクララ嬢は黙ってしまった。

 隣の席のご老人は、もっともだね、と言うお顔をしながら、お湯割りを飲んでいる。お向かいの席では、品の良い雀さんが扇子を取り出し、オホホと笑っている。
 ご自分のお客様の前で、あのボーイとどうなる、こうなるなどの話しをしても良いものであろうか?どんな話しをしても、大きな声で話せば近くの席まで筒抜けとなる。遮る壁がない、柵がない、つい立てがない。要するに周りの席には、丸聞こえなのだ。
 
 今夜は、ビビアンの席にエミルと福が呼ばれ、二人が福に中国語レッスンしてくれると言う事である。ビビアンのお客様は少しお疲れのようで、目を閉じたまま動かない。
「彼はね、寝ながら女性が話ししている声を聞くのが楽しいのですよ。だから気にしないで、今日は中国語レッスンですよ」
 ビビアンは、いつもより機嫌良くエミルと私にビールをご馳走してくれた。
「あのね、中国語で愛している、と言うのはね、ウォ アイ ニーって言うのよ福」
「それは、有名ですね。知っています。それじゃあ、私を愛している?と聞くのは、なんて言うのですか?」
「それはね、二― アイ ウォマ?って聞くのよ。女性から聞かれたら男性は、メロメロになる事、間違いなし!福は、日本人だから、首を傾げながら可愛く言えば良いんですよ。ハイ、言ってみて」
「二― アイ ウォマ?」
「そうそう福!なかなか上手ですよ!」
 と、ビビアンとエミルのレッスンは、延々と続いていった。
「ノリさん、起きて~。もうお時間よ~。二― アイ ウォマ?」
 甘い声を出しながら、ビビアンがお客様の耳元で囁いた。
「はいはい。スー、スー」
「なるほど、答えのイエスはスーなんだ」
 中国のお客様は、こちらにご来店したことはないが、いつかその日の為に練習を積もうと思う福であった。

 チャイナ・ボーイは、日本に慣れると。もっと割りの良いバイトを見つけるのか、すぐにキャバレーを辞め、他に移ってしまう。このやりがいのないグラスを運ぶだけの仕事には限界があるのかもしれない。ましてや、薄給であろう。この数か月のうちにボーイは、二人辞めてしまい残るは、ムーンチェン1人になってしまったのだ。

 少しずつではあるが、私にも幾人かではあるが指名をして下さる物好きな否、太客の大事なお客様が増えて行った。そんなお客様たちに福は、ここぞと言う時には、甘えてみる。
「あのね、K様。お願いしたい事があるのですが・・」
 その日、焼酎のグラスに、お客様のいつもの好きな梅干しを一つ入れ、マドラーで潰しながらかき回し、福は少し顔を傾けた。

『射程圏内、敵は目の前、ロックオン!』
 私なりのおねだり体制突入だ。
「えっ?福ちゃん、お願いって何?」
 優しそうな目線で福を見た。
「あのですね、今日はあのボーイにね、チップをあげて欲しいんです。なぜかと言うと彼は、日本に来て今一生懸命勉強しているみたいなんです。でも、やはり生活は大変みたいです。」
「なぁんだ、そんな事?もちろん良いよ!」
「本当ですか?良かった!彼もきっと喜びます!」
 福は、胸元に挟まったライターを、おもむろに取り出しボーイのムーンチェンを呼ぶ。

 昔は、マッチだったのが近代になりライターになったと言う、ほの暗い薄明りでボーイを呼ぶのは、まさしく昭和キャバレーの伝統である。これだと遠くからでも目に入るようだ。

 ムーンチェンは、何かオーダーを言われるのかと思って、やって来た。
「お客様がね、あなたと握手したいんだって。」
 何を言われているのか、わからない彼はキョトンとして立っている。福は、ムーンチェンの右手を取って、お客様と握手させる形となった。
 お客様の手の中には野口さんが握られて、それが握手と言う形で彼の手の中に入っていったのだ。その時の彼の驚いた目と嬉しそうな顔は、今でも忘れられない。その日から、私は彼の影のサポーターになった。
 私のお客様がいらした時は、何度か彼に握手させた。これは、周りの目にもわからない秘策であった。

 ある夜、頼んでもいないビールが運ばれてきた。
「えっ?これ頼んでいないですよ。」
 と言うと
「福さんに。」
 とムーンチェンが言った。
 彼がビールを持って来る事は、簡単な事であった。作っている人にビールと言えば良いだけのことで、お会計は別だったからである。
 お主もなかなかやるのぅ・・
 私は、ビールや飲み物が作られているカウンターに行き、覚えたての中国語をムーンチェンに言ってみた!

 首を傾げながら、相手の顔を見る。
「二― アイ ウォマ?(私を愛してる?)」
 ムーンチェンは、数秒して恥かしそうに赤くなり下を向き
「スー。(ハイ)」
 と言った。
「やった!やった!通じた!ウオ アイ 二―」
 
 私も調子に乗り愛の言葉を繰り返した!
私の中国語が通じた!中国語が通じた!小躍りし真っ赤になったムーンチェンの手を強く握りしめた福であった。

      つづく