Listen to the ball

鬱陶しい砂埃が立ち込め、思わず目を細める。芥真子にとっては生憎、運動をするにはもってこいの気持ちのいい快晴であった。
「今日は、身障者体験の一環として皆さんにサッカーをやってもらいます」
ハキハキと喋る女性体育教師の橘さゆりは、健康的な褐色に焼けた四肢を大きく動かしながら、準備運動の音頭をとる。
「マコ、これも先生の評判や成績に関わるんだから、ちゃんとやった方がいいよ」
小学校からの幼馴染、荒川美奈がアキレス腱を伸ばしながら、こちらを振り向いた。彼女は名前順が近い事もあってか、何かと一緒になることが多い。
「わかってるよ、ミーナこそ勉強の方大丈夫なの」
「まあね、補習受けなくていいくらいにはやってるつもり」
美奈は真子とは対照的に、男子にも引けを取らないほどの運動神経が特徴だった。美奈の言葉を受け、真子はしっかりとアキレス腱を伸ばす。彼女の言う通り学校の成績や評価に関わる以上、腹を決めてやるしかないのだが、モチベーションは最低を保ったままだった。
 準備運動が終わる。再び橘が号令をかけ、生徒たちを並ばせる。
「じゃあここで今日お世話になる選手さんに登場してもらいます」
準備運動をするときにちらほら見えていた、体躯のいいユニフォーム姿の数人がスッと真子達の前に集まってくる。
「今日は皆さんにブラインドサッカーの面白さを知ってもらうため、K市からやってきました、二階堂拓音です。よろしくお願いします」
地域のブラインドサッカーチームなのだろうか。そのなかのキャプテンらしき人物が、橘にも負けない様子で堂々と自己紹介を始めた。
「僕は病気で子供のころから左目が見えづらくなってしまっています」
二階堂の言葉を受け、無意識に彼の目の辺りを観察する。目に障害を持っているのだから、と真子はおかしなところが無いか気になったが、晴眼者とかわらない目つきをしていた。
「意外と普通なんだね」
いつの間にか横に来ていた美奈がこそこそと喋りかけてくる。
「そういうの失礼なんじゃないの」
自分でそう釘を刺してから、自分が先ほどしたことに恥ずかしさを覚えた。二階堂の後に続いて、チームメイトたちも簡単な自己紹介と自分の目の見え方を話していた。真子はその恥ずかしさの所為か、なにも頭に入っていないようだった。

「習うより慣れろ、ということでまずは体験してもらおうと思います」
二階堂が橘にアイコンタクトを送る。
「じゃあそこの三人と、荒川と芥。前に出なさい」
どうやら生徒の中の代表として、恥をかくメンバーの一人に選ばれてしまったようだ。真子は自分の運動音痴を呪いながら、のそのそと前に出る。
「やったね、面白そうだよコレ」
いかにもワクワクした様子で美奈は真子の手を引っ張る。真子の憂鬱な気分は全く気にしていないようだった。
「ミーナは運動できるからいいかもしれないけれど……」
反抗ともとれない、誰にも聞こえない愚痴を溢す。
 橘と二階堂たちに連れられ、いつの間にかセッティングされていたブラインドサッカー用のコートに移動する。
「コートの大きさはフットサルと同じ大きさの、四十メートル×二十メートルになっています。これからアイマスクをしてもらうので、どのくらいの広さか確認しておいてくださいね」
フットサルにでさえ馴染みが無いのだから、という言葉を飲み込んで、真子はぐるりとコートを見渡す。そこには二階堂の言っていた通りの大きさのコートと、両端にフェンスのようなものが立っていた。
「はじめから試合というのも難しいと思うので、PKをしてもらいましょうか」
二階堂はシャカシャカと鳴るボールを抱えながら、指定の位置へ移動する。
「ブラインドサッカーのPKは、ゴールから六メートル離れた位置からシュートします」
「芥、やってみなさい」
橘から二回目の晒し上げ宣告を受け、真子は仕方なく二階堂の下へ行く。
「じゃあアイマスクをして、耳を澄ませてみようか」
真子は恐る恐るアイマスクをつけ、視界が遮られた状態で、二階堂に肩を掴まれ指定の場所へ連れられる。
「ボールはここにあるから」
暗闇のなかの光のようにシャカシャカとボールの中の鈴が鳴っている。彼の言う通り、音に耳を澄ませてみる。自分の顔の前から、胸、腰、そして足元へと鈴の音が移動していく。ザザッとボールが砂をこする音が聞こえた。どうやらボールは地面へ着いたようだった。
「じゃあ次はゴールの音が聞こえてくるから、より一層、耳を澄ませてみて」
ゴールの音? なんだそれは、という思考が真子の頭を巡ろうとした瞬間、カンカンカンカンカンッ! と耳を劈くような音が頭を貫く。
「ひっ」
思わず声が漏れる。驚いた拍子に足がすくんでしまう。
「大丈夫、驚かせてごめんね。今鳴ったのはゴールポストの左端の音。次は右端の音が鳴るからよく聞いて」
後ろにいたらしい二階堂が、肩を掴んで優しく真子の身体を押し出した。
「カンカンカンカンッ!」
「ここがゴールポストの右端です!」
二階堂ではない、チームメイトらしき男性の声が聞こえる。ぽんぽん、と後ろの二階堂が肩を叩いてくる。
「次に真ん中は『ここだよー』って教えてくれるから、よく聞いて」
ざりざり、と人がグラウンドを移動する音が微かに聞こえてから、
「ここが真ん中です!」
と、男性の声が再び正面から聞こえてくる。ゴールポストの二方向からの金属音と男の人の声。
「じゃあどこにゴールがあるか予測して、シュートしてみようか」
二階堂はもう一度、ボールを真子に音で示す。暗闇の真子の視界に、ぼんやりとした枠組みと足元の鈴が生み出される。真子は足元の鈴を思い切り蹴りだした。
「ゴォォォル!」
ボールがネットを掠る音が聞こえたか聞こえてないかの狭間、二階堂が歓声を上げる。それにつられて周りの生徒の拍手だろうか、けたたましく手を打ち付ける音が聞こえてくる。
「すごいね、きちんとゴールに入ったよ。フォームは要確認だけど」
アイマスクを外すと、眩しいほどの笑顔がそこにはあった。
「ブラインドサッカーはプレイ中の歓声は控えるべきなんだけど、シュートが決まった瞬間は大いに声をあげていいんだ」

 代表として前に出された生徒たちのPK体験が終わり、実践形式に移ることになった。二階堂やその他のメンバーから軽いルール説明がなされる。その後、チーム分けが橘の口から発表され、真子は自分のチームのメンバーと役割を決めることになった。役割はプレイヤーが五人、センターガイド、ガイドの全七人で構成される。プレイヤーは全員アイマスクを装着し、ゴールキーパーだけが例外でアイマスクは付けず、自陣からチームメイトへ指示をだしつつゴールを守る。センターガイドは監督のような役割も兼任し、選手の交代や戦略の立案に加え、フィールドの真ん中あたりからチームメイトに指示を出す。ガイドは敵陣のゴールの後方から、チームメイトに対してゴールの位置や距離、敵の守備位置を伝える役割だ。
「マコちゃんはさっきPKの時シュート決めれていたから、プレイヤーお願いね」
名前もしらないクラスメイトであり、今はチームメイトの一人が真子に役割を言い渡す。クラスでも人気者の美奈が幼馴染なので、自分の記号だけは相手に知られていた。
「あぁ、うん。わかった」
自分は運動音痴だから、なんて言い訳は通用する気がしないので、渋々了解することにした。
 思わず美奈の姿を探す。わいわいと役割分担を相談するチームの中にその姿はあった。美奈はどうやら敵チームのようで、アイマスクを持っている事が確認できた。真子と同じくプレイヤーとしてゲームに参加するようだった。ふと、美奈がこちらを向いたので、必然的に目が合ってしまう。
「マコもプレイヤーなんだね、楽しみだね」
美奈が真子のもとへ駆けてくる。その言葉にキュッと胸が締め付けられた。
 体育は小学生の頃から苦手で、熱血感のある教師が何より嫌いだった。何かと他の人とタイムや競技の出来の良さで評価され、小学校の六年間、一番良い評定を貰えたことがなかった。運動会での徒競走なんてのは毎回最下位だったし、水泳の授業は何かと理由をつけて休んでばかりだった。
「マコちゃんが同じチームかぁ」
もう誰かが言ったかも忘れてしまった言葉が脳裏を過ぎる。自分が出来ない事よりも、自分の所為でチームメイトが不利を被るのが嫌いだった。でも美奈は勉強のできる真子と違って、同じチームになった時はそのマイナスを帳消しにするほど、運動がとてもよくできた。真子はそんな美奈を尊敬していた。
「じゃあ、第二回戦初めてくださーい」
二階堂の号令が聞こえる。いつの間にか自分たちの試合が始まろうとしている所だった。相手は美奈のいるBチーム。一回戦目を目が見えないという特殊な状態ながらも、持ち前の運動神経を用いてチームを勝利に導いていた。
 試合前に食い入るようにコートを見つめる。これからアイマスクを装着するが、試合終了まで実際にコートを肉眼で見ることはルール違反となる。意を決して、アイマスクを装着する。
 号令がかけられ、ゲームが開始された。シャカシャカとボールの音が聞こえる。
「前に二人いるよ! マコちゃんからみて左側!」
味方のセンターガイドから指示が聞こえてくる。PKの一件もあってか、真子はフォワードのようなポジションを務めることになっていた。見えない真子の視界に二人の選手と鈴がぼんやりと生み出される。シャカシャカシャカ。見えない大きな体が真子の前に近づいてくる。不思議と恐怖感は無かった。味方のプレイヤーが私のプレイを見ていないからだろうか。
「ボイ! ボイ!」
ブラインドサッカーのルールとして、ボールを持っている選手は攻めるときに「ボイ」と叫ばなければならない。やはり美奈の声だ。じっくりと耳を澄ませ、冷静に耳でボールを辿る。
自然に身体が動いていた。脳内には体育の見学時によくみていた美奈の姿。
「すごい! マコちゃん! そのまま攻めて!」
自分の中の美奈は美奈と思われるプレイヤーからボールを奪う。ボールが足元にあることを音で確認しつつ、ボイ! ボイ! と叫ぶ。前方からジャリジャリと砂を擦る音が聞こえてくる。
「マコちゃん! 前にディフェンダーがいるよ!」
敵のゴールの方角から聞こえてくる、味方のガイドらしき声が真子の耳を劈く。本当に美奈が乗り移ったようだった。視界が遮られている所為か、自分の身体を動かす際に慎重になる。次は右足を、相手の位置を想像しながら、次はボールを左側に。行程を考えつつも、素早い動きでディフェンダーを躱す。
「ゴールはこっち! シュートして!」
シャカシャカ。足元のボールは真子の勢いと連動するように、気持ちのいい弧を描いて相手のゴールに飛んで行った。
「あー! 惜しい!」
勢いこそあったものの、真子のシュートはキーパーに止められたようだった。ふと、自分の息が上がっている事に気づき、美奈が脳内から居なくなる。その後は接戦を続けたが、試合終了間際に美奈のシュートが決まり、真子たちのCチームは負けてしまった。

「くやしー!」
今日のカリキュラムが終わり、水分補給をしていると、横にいた美奈はそう叫んだ。
「悔しいって、ミーナのチームは全勝だったじゃない」
水筒の中の麦茶に喉を鳴らしながら、違う違う、と美奈はかぶりを振った。
「マコにボールを取られたのが悔しいんだ。あのマコにだよ? プレイ中は分からなかったけど、あとからマコだったってことに気づいてさ」
 悔しそうな声と裏腹に、美奈の顔はすごく嬉しそうだった。もし、自分が美奈に勉強で負けたとしたら、こんな顔が出来るだろうか。プレイ中、脳内の美奈が自分と重なった事を思い出す。そのときはまた美奈と同じように、この笑顔で向き合えたらいいな。
「次はミーナが私を勉強で負かす番だね」
美奈は少し驚いた顔をした後、目の前の何かが少し変わった少女と同じように、満面の笑みを浮かべた。

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