こんな時代だからこそ、の落語
落語はロックだし、“流し”は落語だ。
そう思うところがあるので、前回のnoteでは稲田一馬氏に触れてみた。
一馬の生き様は、ロックで落語だな、と。
そして
落語にもロックにも、
『剥き出しの人間味』
が在るように思う。
まぁ、こんなことをわたしが語るよりも、
【ハードロック&ヘヴィメタルの老舗専門誌 『BURRN!』の広瀬和生編集長が無類の落語好きであり、もはや“落語評論家”の肩書きを欲しいままにしている】
という事実を呈示したほうが、だいぶ説得力があるのではないだろうか。
流しも寄席も“能動的参加型芸術”という点では同じである。
客とパフォーマーが同じ温度で向き合ったときに、最高の作品がそこに出来上がる。
だからこそ、パフォーマーは魂を削って全力で“今”を表現している。
そして“瞬間芸術”であるから実に刹那的で、儚いからこそ尊くて価値が高い。
落語の楽しみ方は十人十色あると思うけども、わたしはやっぱり滲み出る『人間味』の濃淡を味わいたいのだと思う。
落語演目のなか。
お客さんを含めての高座。
落語家という職業。
それらすべてに『人間の悲哀』が凝縮されていて、その切なさがたまらなく胸に刺さる。滑稽噺であればあるほど、その哀愁は増す。
わたし自身、素直すぎる性格故、良き人間関係を構築していくのはすこぶる苦手なのだけど、そもそも『人が好き』なんだろうなぁと自分自身で思う。
小椋佳氏が作った『愛燦燦』という歌がある。
美空ひばりの名曲なのだが、わたしの『人が好き』という想いは、この歌の歌詞が代弁してくれているように思う。
人は哀しい 哀しいものですね
人はかわいい かわいいものですね
わたしには非常に刺さるフレーズだ。
「人生って良いことも悪いこともあるけど味わい深いよね。人を傷つけるのも人だし、人を幸せにするのも人だよね。」
ということを言いたい歌詞なのだろうなと勝手に解釈している。
今の仕事は『人が好き』なわたしにぴったりの天職だと思う。
だから、毎日の仕事はものすごく楽しい。
落語も『人が好き』だから観にゆく。
Noteも『人が好き』だから、きっと続けられている。
ところで、ここ数年、ボードゲームの代名詞とも言える『人生ゲーム』が売り上げを伸ばしているそうだ。特に、コロナ禍の2020年4月の売り上げは、前年比の約1.4倍だったそう。
『人生ゲーム』は、核家族化の最たるところを常に生きているわたしにとってはあまり馴染みがないのだけれども、こういったアナログゲームの需要が増えるのは良いことだと思っている。
わたしも好きでいくつかカードゲームの類を所持しているが、家族も友達も少ないので気軽に遊べないのが実に哀しい。
人数がいれば、ホントはこんなワークショップみたいなものにも取り組んでみたいのだけど。
これらのアナログゲームは、想像力や類推力で補って完成する“能動的参加型瞬間芸術”(敢えて芸術と称す)であるという点においては、落語のそれと少々似ているなぁと感じる。
令和時代には、こう自ら頭から突っ込んでゆく想像力・妄想力を駆りたてるツールがより重要になって来るんだろうな。
もの凄いスピードで賢く愚かになりつつある人類は、最先端技術でリアルなバーチャル世界を創造することに長けているから、だからこそ、それに飲まれないように“未完成”な完成品が重要視されるようになってくる、ね。
だからこそ、今、現実逃避のためではなく、想像力を鍛えることを目的に落語を浴びたい。
(とりあえず、前回のnoteは好きな人たちの名前ばっかりつらつら挙げて、ピーナツ1度に100個食べたくらいの鼻血が出るんぢゃないかと思いました・・・が、取越し苦労で済みました)
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