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#4 下手なので、人と比べるのをやめました。

2つの比較

大学時代、心理学を勉強していたときに次の用語を学んだ。
「上方比較」と「下方比較」である。
この用語については、次の古賀史健さんのnote記事にわかりやすく書かれている。

この2つの比較を、noteのスキ数に例えて説明するとこうなる。
・上方比較
「僕はスキが5個で、あの人は12個かぁ。あの人みたいによりスキをもらえるようになりたいな……!」と憧れの気持ちをもつ比較のこと。
・下方比較
「僕はスキが5個で、あの人は2個かぁ。よしよし、あの人よりスキをもらえているぞ」と自尊心を高める比較のこと。

この2つの比較を見ると、いずれにせよ自分を前向きにするために他者と比較しているように見える。
これを学んだ当初は、ただただ試験のためにそういうものなんだと覚えていた。
けれど、この用語と改めて対峙したとき、僕は思った。

「え、うそーん。どっちも前向きになってんじゃーん。
 他人と比べて落ち込んだことしかないぞ、僕は。
 え、じゃあ僕って、比較することが下手なんじゃないの??

人と比べて落ち込んだ実例(サンプル:立竹落花)

上方比較

・周りの友達が次々と彼女を作っていったとき
→「みんな彼女がいるのに、僕だけいない。ああ、僕ってなんてモテない男なんだ。ダメ男だ……」と落ち込む。

・友達が自分よりも何倍も稼いでいることを知ったとき
→「同い年なのに、僕よりもあんだけ稼いでいる。稼げない僕ってなんてダメな男なんだ。社会にいる価値ないや……」と落ち込む。

などなど枚挙に暇がなさすぎて困るくらいである。

下方比較

・SNSで他のアカウントよりフォロワーが多いのを知ったとき
→「うひょー。僕の方がフォロワー多い、ひゃっはー!」と一回は自尊心を高めるも、「こんな小さいことで何喜んでるんだろ。自分ってちっちぇーな」とやっぱり落ち込む。

・仕事で誰かがミスをしたとき
→「ええ、僕ですらそんなミスしたことなのに。あの人よりまだ僕の方が仕事ができるんだなぁ」と一時的に自尊心は高くなるが、やっぱり振り返って自分の小ささに自己嫌悪。しかも、その後同じミスをしてしまう有様。

などなど、こちらは一度自尊心を高めた後、そんなことで喜ぶ自分を嫌悪するという形で落ち込むことが多い。

だから僕は比べるのをやめた

とりわけ僕の場合は、上方比較をすることが癖になっていた。
言ってみれば、隣の芝生が青く見える……むしろその青を癖で探してしまうところがあった。
学生時代は特にその癖が強かった。
SNSを見ると、他の人は自分よりも充実した毎日を過ごしているように見えて、「それに比べて自分は」と落ち込み、いわゆる「SNSうつ」みたいになったこともある。フォロワーとかいいねとかその数なんかもわかりやすく自分と他者を比較する材料になってしまう。

それに上記の恋愛の例で言えば、恋人がいること=上、ではない。
この捉え方自体も大いに間違っていたなと今は思う。
比較することで落ち込む、だけではなく、そもそも比較する概念が誤っている例というのも、このようにたくさんあることだろう。

何にせよ比較して落ち込むということは、比べることに向いていないのだ。
少なくとも僕はそう思うことにする。
なので、比べることをやめた。諦めたといった方がいいかもしれない。
もちろん頭というのは厄介なもので、癖になっていることをやろうとしてしまう。
そのとき、自分は自分にこう伝える。
「いや、やめよう。比べることに向いてないんだから」と。

それから、3日前からnoteを始めて思った。
このたった1つのサイトにも、比べることなんてできないくらいに多種多様な文章を紡げる人がたくさんいるのだと。
もし、この記事を読んだ方の中で、誰かと比べて辛いって思った経験がある人がいたとしたら伝えたい。
たぶん、僕と一緒で比べることに向いていないのかもしれません。
だからもう比べるのをやめることを癖にして、オンリーワンを一緒に目指してみませんか。


最後に余談。
大見出しのタイトルから、わかる人はわかると思うが、
僕はヨルシカの大ファンである。





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