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#105 世の中刺激が強すぎる

自分はHSPなのだろう。
そう自覚したのは、2度目の就職失敗を経験したときだった。

メンタルが落ちたときに僕は思った。
どうして自分はこんなに弱いのだろう。

ネットで調べた結果、行き着いたのがHSPだった。
セルフチェックをしてみても27項目中23個が当てはまった。
(引用:http://hspjk.life.coocan.jp/selftest-hsp.html

そうか、自分は繊細で敏感な体質なのか。
だから、生きづらく、社会に適応するのが難しいのか。
その事実に安心した一方で、ふと疑問に思った。

果たして、生きづらさの原因は、全て自分にあるのだろうか。
メンタルがどんどん落ちていった日々を思い出す。

さまざまな人との出会い慣れない仕事——
言葉を選ばない注意という攻撃自然体でいられない環境——
通勤の満員電車、強すぎる空調、イヤホンを貫く騒音——
奇抜な服装をする人々、自分のスペースを無理やり確保する人々——

確かに僕は人よりも繊細で、刺激に弱いのかもしれない。
しかし、世の中に強い刺激が溢れすぎているのではないか?

街の音と光に疲れてしまう

僕の趣味の一つに街歩きがある。
以前にも渋谷や秋葉原を歩いたときのことを記事にしたけれど、都会を歩くのは決して嫌いではない。むしろとても好きではある。

しかし、どうしてもすぐに疲れてしまうのである。
張り巡らされるオーロラビジョンやそこから流れる広告の数々。
それらの大きな音や、強い光に自然と体力を消耗してしまう。

だからサングラスやイヤホンを使っているが、それでも防ぎきれないほどに僕にとって街の音や光の刺激が強すぎる。
もちろん、僕が過敏なところはある。
けれど、やはり都会には刺激に溢れすぎているのも否めない気はする。

メディアの言葉や情報の強さに

僕は、スマホやPCを必要以上に使わないことを心がけている。
やはりブルーライトというのはどうしても刺激が強い。
睡眠の質も下げてしまうし、目も疲れやすくなってしまう。
なので、連絡の確認や天気などの情報収集、そしてnote執筆・回覧くらいに最近は留め、それ以外は電源を切るようにしている。

だが、それ以上に強い言葉や情報を回避することが主な目的である。
ニュースサイトのコメントやSNSなどには、どうしても強い言葉が並んでいて、それらを見るだけでどこか心が蝕まれる感覚を覚える。

それだけではなく、ニュースそのものも僕にとって刺激が強い。
災害や戦争などのニュースは向き合うべきだと思っているので、辛いと思いながらも現実を見るためにそれらは読むようにしている。

だが、例えば日々起こる凄惨な事件だとか、あるいは芸能人の不倫などのニュースなどは、なるべく見ないようにしている。
方向性としては全く違うけれど、感想としては「どうしてそんなことをするんだろう」というところに一致する。
そうやって考えていると、人間という存在が怖くなる。
結果的に、心が疲弊してしまうのである。

人間という刺激源

人間という存在も、強い刺激の源だと感じている。
友達であれ、同僚であれ、人間一人の存在はとても大きい。
話していると楽しい気持ちになるし、一緒にどこか出かけるのも好きだ。
時折呑みに行って話すのだって大好きだ。

だが、あまりに距離が近くなりすぎると、やはり疲れてしまう。
それはやはり、人間自体が強い刺激だからに他ならない。

今の職場や友達たちとの距離感は良好だし、刺激の強さもほどよい。
だから仕事も関係も続けられているのだと思う。
だが、学校のクラスメイトやメンタルダウンしてしまった職場にいた人間たちは、距離感も近かったし、言葉も強かった。
ゆえにすぐに疲れ果て、彼らとの関係も長くは続かなかったのである。

自分が繊細で刺激に弱い。
だから、メンタルダウンをしてしまったと思っていた。
もちろんそれは間違いない。
しかし、強い刺激が飛び交う環境にも原因があったのでは?
今では思うのである。

たまには世の中のせいにしてもいい

HSPという言葉を知って、自分が生きづらい理由を見つけた感覚はあった。
同時に「じゃあ今までのメンタルダウンは、全て自分に原因があったんだ」という自責の念を覚えてしまったのも事実である。

しかしそれでは、自分が悪いという結論に至ってしまう。
つまり、自己否定につながってしまうだけである。

もちろん、自分に生きづらさの原因はあるのは間違いない。
しかし、生きづらさの原因の全てが自分にあるとは思わない。

学校や会社が合わないのは、強い刺激に溢れているから。
世の中には、自分が疲れるくらいの刺激が飛び交っているから。

HSPには、自分を責めてしまう人が多いような気はする。
だからこそ、たまには周りのせいにすることだって大切だと思う。

同時に、刺激のあまりない、心地よい居場所も世の中には絶対ある。
僕にとって、noteはそんな居場所の一つだ。






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