#163 人生の残された時間
昨日は、2か月に1度の通院の日だった。
過去の記事でも書いたが、僕はIgA腎症という指定難病にかかっている。
特段、自覚症状があるわけではないのだが、放置すれば人工透析の道を歩むか、自覚症状が出たときには腎不全になって命の危機に直面する。
昨日の検査結果も2か月前と概ね変わらず。
それ自体は安心するのだけど、ときどき空虚な気持ちが襲うことがある。
僕はこれから死ぬまでずっと、こうして2か月に1度病院に通って、検査結果の数値とにらめっこしていくのか。
どうしても加齢でこれから腎臓以外にも体に異変が起きることだろう。
今年で34歳。もう若くない。
そうやって悶々と考える果てにこう考えるのだった。
こうして元気に生きられる時間って、あとどのくらいなんだろう。
人生は長い。だけど短い。
10代の頃も、20代の頃も、人生の残り時間なんてほとんど考えなかった。
なんなら、精神状態が今以上に不安定だったから、残り時間などを考える余裕もなく、ときには「もう終わりにしたい」とさえ思っていた。
あらゆることが原因で、決定的にメンタルダウンをしている方の希死念慮というのは切実なものだと思う。
僕のような半端に生きて、ただただ人生が思い通りに行かず、そこから逃げ出したいという意味での希死念慮とはまったく別物である。
半端者である僕の希死念慮は、これから先の人生が長いという前提の上で成り立っているのである。
こんな辛い状況がこれからも長く続くならいなくなりたい。
これからの何十年、自分という人生を生きていたくない。
全て、長く生きることを前提に考えていたのである。
確かに人生というのは長い。
だけど、30代半ばになったから思うけど、思っているより人生は短い。
数字によって人生の短さを感じた
人生が長いと思う理由の一つが、いつ終わりが来るかわからないというのが大きいのだと思う。
だがある日、ふと日本人男性の平均寿命で死ぬとしたら、あと何年残されているのだろうと考えていた。
調べてみると日本人男性の平均寿命は81.09歳なのだという(厚生労働省, 2024)。
今現在僕は34歳だから……あと、47年。
具体的な数字を掲示されると、ドキリとしてしまった。
仮に81歳で死ぬとしたら、もう半世紀も生きられないのだ。
さらにもっとドキッとしてしまったのは、仮に81歳で死ぬとしたら、西暦何年になるのだろうと計算したときだ。
計算結果は、2071年。
なんだかもうすぐそこに感じてしまう。
あと47年の人生。
47年後に死ぬ。
死ぬ年は2071年。
全て同じことを言っているのだけど、数字が具体的になればなるほど、自分に残された時間ってあまり多くはないのだなと自覚するようになった。
だけどこの計算は、決して恐怖心を覚えるだけのものではなかった。
残された時間はそこまで多くないのだから、丁寧に生きていこう。
命が有限であることを思い出し、背筋が伸びた心地になったのだ。
いつ終わりを迎えるかわからないから
人はいつ終わりを迎えるかわからない。
それが怖いところでもあり、油断してしまうところでもあるのだ。
2024年もさまざまな訃報が飛び交った。
大往生で亡くなる方もいれば、若くして亡くなった方もいる。
数日前まで元気に働いていたのに、という声もよく耳にした。
僕たちだって今こうしてnoteを書いたり読んだりしているけれど、明日それができるかはわからない。
だから今日も精一杯文章を書く。精一杯生きていく。
何も変わらない明日が来ると信じながら。