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医の道はアートである、アートの道もまた医の道に繋がる〜対話型鑑賞という芸術を楽しむ方法が医療を救うかもしれない


「診察中にパソコンばかり見て、患者の方をまったく見ない医師」

テレビ番組や医学教育の場面でも良く問題にされる「悪い医師」の典型的な例として良く使われるシーンです。

これと全く同じことが美術館でも起きているのです。


美術館の有名な絵の前でスマホを片手に、その絵の解説を読みあげる彼氏とそれを聞いて「ふーん。」と隣の絵に移動する彼女です。


世の中には沢山の美しい絵がある。絵の中には作者が伝えたい、沢山の仕掛けが隠れています。


確かに、Wikipediaやインターネットにはその絵の知識や情報は沢山載っているかもしれません。


でもその知識や情報は、作者が本当に伝えたかったことでしょうか。


折角本物の「絵」が目の前にあるのだから、スマホから顔を上げて作者の「仕掛け」に目を凝らし、「思い」に耳を傾けてみませんか。


そして自分だけが見つけた「新しい気付き」を隣の人に共有してみましょう。

そして、隣の人が見つけた「新しい考え」耳を傾け共感し受け入れてみませんか?


先日、ミルキク代表の森永康平先生のオンラインの対話型鑑賞のワークショップに参加してきました。


森永先生はnoteを通して出会って、総合診療医でありながら、京都芸術大学の院生、そしてミルキクを運営されていて「医療×アート」を実践している素敵な先生です。


 対話型鑑賞は、1980年代半ばに、アメリカのニューヨーク近代美術館で始まった美術の鑑賞法です。対話型鑑賞が従来の美術鑑賞と異なる点は、作品の意味や技法、作者に関することなど、美術の知識をもとにして作品と向かい合うのではなく、作品を観た時の感想や、そこから想像されることなどをもとにして、グループで話し合いをしながら、その対話を通して観賞が行われるということです。
 こうした、美術についての知識を介さずに作品を楽しむ体験を他人と共有することを通して、想像力や自分で考える力を育てること、自分の考えを話す力や他人の話を聴く力といったコミュニケーションの能力を育てることを大きな目的にしています。 参照:足利美術館ブログ



それでは、じーっくり鑑賞してみましょう!貴方には何が見えますか?

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青白い、男?女?の人が横たわっています。


着ている洋服は?


いつの時代の人だろう?


ここで大事なのは「事実」「解釈」をしっかり分けて考え、相手に伝えてみることです。


当日の参加者はお坊さん、先生、図書館の司書さんと様々な分野の方が参加しており、色んな立場の人の色んな考えを聞くと、同じ絵をみても見え方は人によって様々であることに改めて気づかされました。


例えば、コトクは洋服とかから勝手に船乗りと考えて、床に転がっている筒状の物は小さな望遠鏡だ!と考えましたが、


他の人は真っ青な顔で横たわった人の手元から転がっているのだから毒薬の入った瓶だろうと、なるほど確かにそうだ。


そうすると、青白い顔も納得だし、そうすると箱の中に入っているビリビリになった紙はなんだろう、、と次のところに目と頭が集中していきます。


この会は何か正解を見つけるのが目的ではなく、一つの絵画をじっくり見ながら、あーだこーだみんなで楽しく話し合うことが目的の会で、久しぶりに「自分の考え」をフラットな場所で人に伝えるってことをしました。


「自分の考え」をその場でぽんっと出すことは心が軽くなる。


何かと言いたいことも言えないこんな世の中では、この対話型鑑賞というのは教育だけでなく、色んな分野で活用できるなと改めて感じました。ポイズン。


改めて、最初のお医者さんに戻ると、このお医者さんはすごい損している。


患者さんというのは一人一人違う人生を生きてきた、言わば芸術の結晶である。


その芸術の細部を見ずして、データだけで、その人を語ることは何ともったいないことでしょうか。


医の道はアートであるとプラトンは言いました。


今、全国の医学部や看護学部、小学校の教育現場などでこの対話型鑑賞という技法が取り込まれています。


そんなアートな視点をもった医療者が作る医療の世界はもっとより良いものになると思いませんか?














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