見出し画像

結婚筋クリート〜友達がフラれたら酒を飲みながら笑っていたゲスが結婚して気づいた人を愛することとは〜


人生は結婚しなかったらあっと言う間だけど、結婚するとしたら長すぎると思っていました。


コトクは持ち前の末っ子パワーと極端な自己中な考え方で24歳まで自分のためだけに生きていました。

画像1


24歳で医者になって初めて、人のために生きることがこんなに楽しくて、幸せなことと知りました。


正確には、人のために体が動いた時に心が軽くなった感じには気づいていましたが、それを無視していました。


コトクはどちらかと言うとゲスなので、友達がフラれたら爆笑しながら酒を飲み、友達に彼女ができたら中指を立てながら唾を吐くような人種でした。



画像2


一度、真っ黒になった心は白くしようとしても、せいぜい灰色にしかならないからと諦め、とことん真っ黒にしてしまおうと、周りの人を巻き込み、行き先が崖の暴走機関車に乗っているような感覚でした。



でも、何を血迷ったのか、ある日電車で妊婦さんに席を譲ったり、迷子の子供の手を握ってお母さんを探してあげたりした時に、心がジワーッと暖かく、軽くなる感覚がありました。



『あー、このままじゃろくな人間にならないなあ。』と危機感は感じていたものの底辺の暮らしは誰からも期待されることなくある意味気が楽でした。


自分がピエロを演じれば周りの人が笑うことは分かっていましたが、ピエロの衣装を脱げば空っぽな自分がひどく惨めに思えました。



そんな東京で腐っていた時に、鹿児島の小さな病院が僕を拾ってくれて「ウチの病院では頑張って働かなくて良いよ、君はいててくれるだけで良いんだ」とはじめて大人に優しくされ、はじめて"ただ"存在していることを許された気がしました。


無理して作り笑いをしなくても、無理して人を笑わせなくても良いんだと。


ピエロの衣装を脱いだ僕は、友達もいない、知り合いもいない新しい場所で、ゆっくり自分の夢と向き合うことが出来ました。そこで、自分の夢を思い出すことができました。

画像3



そして、その小さな病院で、自分と正反対な、真っすぐで力強い、今の奥さんに出会いました。


画像4




コトクは社会人として生きるのにはネジが10本くらい抜けています。今でも、大人に本気で怒られます。


だけど、今の奥さんがコトクにないネジ全部持ってて、このポンコツはなんとか社会で生きてるんだと思います。






医師としても、人間としても、まだまだまだなコトクですが、これからもどうぞよろしくお願いします


サポートありがとうございます!皆様からいただいたサポートは離島医療の現状を伝えるメディアの運営に使用させていただきます。