「盤双六」について想う 巻之壱 (My thoughts on Backgammon 1)
タイトル画像はwikipedia「すごろく」から引用です。
「盤双六」。
この遊びは平安時代に大流行していました。でもどういうわけか、江戸時代には、これで遊ぶ人が1人もいなくなってしまいました。
このことは、古典文学を何本か読んでいるうちに、みなさん嫌でも気が付くはずです。
しかし同時に、たとえ何千本の古典文学を読みあさったとしても、全然、「盤双六」とはどういう遊びだったのか、全体像がはっきりしてきません。
なぜなら、過去の日本人たちは、誰一人として遊び方(ゲームルール)をちゃんと書き残してくれなかったからです。
ちなみに、江戸時代になってからようやく、双六ゲームのルールを編纂する人が現れています。しかし、そんなタイミングでいまさらまとめても、平安時代当時のルールと同じかどうか?信頼性は乏しいです。
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現代に生きる「伝統ゲーム研究家」の高橋 浩徳さんの見解によると、現在よく知られている「Backgammon(バックギャモン)」の標準ルールとは、ちょっと違うモノ(バリエーションルール)が平安時代には流行していたはずだと推定しているそうです。
https://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/dg_bansugo.htm
で、今はまだ確たる証拠は出せないけど、たぶん「大和」という遊び方がそれなんじゃないかと思われる。ということだそうで。
なお「大和」というゲームは、ルールが発掘しきれておらず、まだちゃんと遊べる状態までには至っていないそうです。
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さて、視点を日本からヨーロッパに移します。
あ、ここから突然に、Backgammon(バックギャモン)っていう話題を始めますけど、これは盤双六と同じゲーム(お互いに、地方バリエーション)です。その点をご理解の上で。よろしくです。
Backgammonの来歴がはっきりしていない事をいいことに、BC3000年以上前から遊ばれていた・・・とか誤情報を書いている人がいます。これ、ほんとに間違いですよ。
およそBC1世紀ごろは、ローマ帝国で流行していた「Ludus duodecim scriptorum」が地中海沿岸世界(ペルシャ+ヨーロッパ)におけるサイコロゲームの主流だったはずです。
これはBackgammonの「親」あるいは「叔父」に相当するゲームです。
まだ、このゲームが「世界的」に遊ばれていたBC1世紀の時期に、Backgammonがそれと並行して流行していましたと言い切ってしまうのは、かなり無茶ぶりに思えます。
いや、そもそもの話として、BC3000年の証拠だとして提示されているゲーム盤には60区画(マス)もあります。60マスあったら、Backgammonの仲間に分類するよりも、エジプトすごろく「Senet(セネト)」の亜種(親戚)と考えるほうがずっと自然じゃないですか?
「みんな、アタマ大丈夫?」と、ラジくまるは心配してしまいます。
明日に続きます。
ゲームシステムのデザイナーって、何なの?どういう意味? そんな疑問は、私の記事群によってご理解いただけるものと期待してます。 ラジくまるのアタマの中にある知識を活用していただけるお方、サポート通知などお待ちしています。