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SNS”知りすぎたゆえの不幸”アップデートされた記憶と感情は後戻りはできない・・・

どうもまあまあ大企業で中間管理職をしているライジングです。

本日のテーマはSNSなど”知りすぎたゆえの不幸”によりアップデートされた記憶は後戻りはできない・・・について記事を書いていこうと思います。

1995年からインターネットが日本でもどんどんと普及し、マス媒体(TV・新聞・ラジオ・雑誌)の中でしか知ることができなかった選択された情報も、今ではスマホ1つで手軽に情報を検索、すぐに調べて好きな情報を選択することができる時代になりました。

そして手に入れる情報は様々あり、逆に知りたくなかった情報まで知ることができる時代へと突入していきます。

現在のオカズ(下ネタ)は選ぶことが大変な時代

少し下ネタの話をすると、(苦手な人はページを閉じてくださいね。)私が中学生の頃のアダルトビデオといえばVHSが当たり前で、そもそも情報としても物理的にもVHSをまず手に入れる事自体が超難問でした。

自動販売機でアダルトビデオが販売されているという古き良き時代もありましたが、昼間は誰が見ているかわからないのでヒヤヒヤもので、中々購入する勇気を持てずにいました。夜ひっそりとみんなが寝静まってから恐る恐るアダルトビデオの自動販売機に行くことが当時の楽しみであり、最もドキドキする瞬間でもありました。

また河川敷などにいくとよく使用済みのアダルトビデオが捨てられていたので、「今日はアダルトビデオが落ちていないかな?」と思い、友達を誘って一緒に探しに行くこともあったりしました。

つまり何が言いたいかというとそもそもアダルトビデオをゲットすること自体が私の青春時代は超難関・難問で、実際にそのアダルトビデオに出てくる女性については基本的にはブスでもデブでも誰でも良くて、裸を見れること自体に興奮できる世間知らずの私がそこにはいました。

1億総スマホ時代

おそらく現在の若者は”1億総スマホ時代”と言われるほど、全国民のほとんどがスマートフォンを持っており、常時インターネットと接続をしている状態が普通でむしろ繋がっていないと不安にな気持ちになるほどスマートフォンがいつの間にかみんなのマストのアイテムへと発展を遂げました。

そして1億総スマホ時代が若者にもたらした一番のエロの恩恵とは、楽に・気軽に・綺麗な・無修正の・自分好みの女性で抜けるという私の時代では考えることができなかった恩恵を手にすることができるようになりました。

つまり何が言いたいか?というと現在は自分好みの女性を選択して満足することができる=理想がどんどんと高くなる=アップデートされてしまうということです。

女性と付き合った時に色々と気になってしまう

いざ実際リアルに女性とお付き合いして、初めてのSEXはドキドキするし、期待にムネ膨らませワクワクするものです。頭の中でどんな体つきをしているんだろうなあ、などと考えてしまうのは男性の性であり仕方がないことでもあります。

そして初めての初夜でまさに対峙を迎えた瞬間、男性が思い描いているのは、普段から見慣れているアダルトビデオの女性のような綺麗なピンクの乳首、つるつる・すべすべの肌、形がいいハリのある乳房、プリンとしたお尻などです。

もし女性と対峙した瞬間に、そのお付き合いしている女性が理想どおり(想像通り)の体なら問題ありませんが、万が一違った場合それは一気に地獄と化します。普段アダルトビデオで綺麗な美しい女性で欲を発散している諸君にとって、目の前の異物(失礼な表現本当にすみません。)は頭の中でエラー表記が起こっていると言っても過言ではない状態です。

(ハカセ・・・チガウ、チガウ、・・・コンナ・ヨテイデハナイ。モット・・イイカラダツキノ・ジョセイシカ・・ワタシミタコトナイ。パニック、パニック。ワーニング・ワーニング。)

という状態なわけですよ。失礼な文章を書いていることは百も承知ですが、これは逆に男性にも言えることで女性も自分が好みの男性象を選択する幅は情報が増えると同時に、好みの幅も大幅に広がることになりました。

(ハカセ・・・チガウ、チガウ、・・・コンナ・ヨテイデハナイ。モット・・ガチガチノキンニクノアル・ダンセイデ・アソコノカタチモキレイナモノシカ・・ワタシミタコトナイ。パニック、パニック。ノー・ソウニュウ、ノー・ソウニュウ。)

という状態なわけですよ。

知らなければ幸せなものは世の中に沢山ある

つまり記憶はアップデートされて記憶と感情を侵食していくということです。知らなければ幸せなものも世の中にあるはずなのに、知りすぎることによる不幸も沢山世の中にはあると私は思います。

アダルトビデオを元に昔と過去の恋愛観を例に出しましたが、SNSなどは正に知りすぎることにより不幸になっている人をたくさん見かけます。

例えばインスタなどのストーリー機能で流れてくる情報は強制的に今友達や彼女が何をしているのかを教えてくれるスーパーおせっかいな装置だと私は思います。

感情の変化がなく、記憶にも残らないようなダラダラ見ることができるコンテンツならまだいいですが、例えば投稿を見て羨ましいと思ったり、グループで遊んでいる投稿を見た際に誘われていないと勝手に疎外感を感じたり、また彼女が男性と遊んでいるところを見かけて嫉妬してしまったり・・・

あなたもが知らなくてもいい情報で心踊らされた経験があるのではないでしょうか?

電気のついていないトレイにゴキブリがいても見えなければ何も気が付かず動じないあなたも、電気をつけてそこにゴキブリがいることを認識した瞬間大声をあげているのと同じ状態でもあります。

もちろん明かりを垂らす(SNSの普及)ことで生活の中で享受できる情報レベルは格段に進化しましたが、逆に享受したくなかった情報も溢れかえる結果となりました。

情報との付き合い方は気をつけたほうがよい

じゃあそんな私達はどのように今後情報との付き合い方をしていけばいいのか?ということですが、私なら意識的に自分にとってマイナスになる情報を取りにいかなくてもいい環境を作ることだと思います。

といっても、勝手に流れてくる情報は相当意識しないと解決することが難しい問題ではありますが、私は基本的に知り合いのストーリーなどは一切見ません。(前向きな投稿や、興味のある投稿以外)

なぜならストーリーを見なくても、その友達に対して全く失礼でもないし、見てないやろお前!!と言われるもこともないからです。

つまり少しでも生活の中で自身の感情がマイナスに揺さぶられるような要素を持つものはどんどんと排除するべきです。私はこれを細かく意識するようになってから本当に健全に毎日の生活が過ごせるようになりました。

また本当に集中するべき自分がやりたいこと(仕事や趣味)に集中できるようになり、幸福度が増しました

もしこの記事を読んで他人の行動などで一喜一憂している人がいるなら、そんなものは人生にとって本当にムダということを理解してほしいです。

大切なあなたの人生の時間はもっと有意義に、自分がやりたいことに全力で使うようになれれば最高ですね。

それでは次回の記事もお楽しみ〜。

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