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余白




個人的に”なんだか心地良い”と感じるための必要条件の一つ:[ 余白 ]


[ 余白 ] あるいは [ emptiness : the state of containing nothing. ]

(原研哉さんの思考より)

はデザインの領域ではもちろん、ヒトとして生きる上で深く考えたい概念です。

余白が好きです。


例えばグラフィックのレイアウトでグリットシステムを用いることは、余白をデザインする事とほぼ同義だと捉えられるだろうし、

拡大解釈すれば、”腹八分目”も日常の余白だと最近感じています。足りないくらいが丁度良い。健康に良く、身体の調子も良くなります。

つい食べ過ぎてしまう事が多々ありますが、、、

質素で謙虚な日本的思考は特に余白に関わっているのではないでしょうか。

そして空間的に自然の中にも見つける事ができます。

雄大で美しい海と砂浜が在るからこそ、ポツンと浮かぶ船やヒトが印象的に見えたりします。圧倒的な自然はその存在自体が余白だったりするのではないでしょうか。



また余白とモノの関係性を見ると、自由度や柔軟性が関わっています。

以前無印で働いていたのですが、無印良品のモノづくりは[ 余白 ]が多いように感じます。

消費者にモノの使い方を強制するのではなく委ねている部分が大きいです。

「これがいい」ではなく「これでいい」というメッセージには、オーセンティックで基準である感覚を覚えます。

空の器のようなモノとして在る事で、様々な事を受け止める自在性を携えているそうです。

ミニマリズムとは一線を画す思考で、とても素敵です。



ではそもそもなぜ、

私は余白が心地良いと感じるのでしょうか。

おそらく整っていると認識できるからです。当たり前ですね。

もう少し細かく考えると、地と図の調和が心地良さに繋がっています。


余白は、その概念単体で存在しているのではなく、余白が在ることによって見えてくるモノとセットで存在します。地があることで図が見える。

足りない、余ってる空っぽなキャンパスがあることは丁度良いのです。

私にとって。


脇役的で裏方な印象を受ける、余白という言葉ですが、地と図をルビンの壺のように反転させてみれば、主役でとても大切なことのように思えます。



当たり前で抽象的な話でしたが、まだまだ深く思考していきたいです。


読んで頂きありがとうございます。







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