物事、人を見る時、想うとき あくまで多様性が原則。 そこに優劣はない。 あるのは自分の視座と信念。 常にフラットに。
ふと、時間の経過が寂しく、喪失感を覚えた。 目の前の事に意識が行き、やるべきことに予想より時間をとられ 日々が過ぎていく。 本当はこの映画も観たかったし、この曲もじっくり聞きたかったし、 写真も整理したかったし、気になる本をもっと読みたかった。 新しい料理も学びたかった。 じゃあやれよと言われれば、その通りなのだけれども 過ぎて行ってしまう時間。 人生短いのだから、不幸になっている暇はない。誰かが言った。 その通りだと思った。 丁寧に自分の機嫌は自分でとり
コロナウイルスによる生活変化にも身体は慣れ始め、 あらゆるコンテンツを巡り巡っている頃合いでしょうか。 今日は雨でした。 雨が降っていました。 雨のプレイリスト作ってみました。 さて ”雨の日” 皆さんはどのような印象を抱きますか。 天候が変わるだけで、 無意識にあなたの心に影響が及んでいるかもしれません。 私は偏頭痛持ちですが、雨天ではこころなしか症状は悪化します。 ある人は、外へ出るのが億劫になり、 ある人は、気持ちが落ち込み、 ある人は、1日の
山口周×多摩美術大学 抽象度高いですが、これからのデザインシンキングの基礎の一部となるような思考だと考えています。 *2枚目の画像が1枚目の右側にきます
デザインを学生として学んでいる身ですが、 自己を表す括りの一つとして、デザイナーを名乗っています。 ですがそれ以前に「ヒト」だと思うのです。 現在、COVID-19が蔓延して人々は多様で過酷な状況に追い込まれつつあります。 だからこそ、周囲の人々の内なる人間性が垣間見えます。 自分と関係ないと実感を持たず、公に飲みの席の様子を載せる方。 真剣に調べ、自己の考えを発信する方。 政治に対して不満を持ち、批評する方。 私もこんな状況にならない限り、 政治にも世界に
無知な自分へ。 真似る。憧れる。尊敬する事は欠かせないが、その人、モノに固執するのは少し違うベクトルではないだろうか。 本当の意味で、他人と比較しないということを考えて欲しい。昨日の自分と比べて、どうありたいか。自分らしさを直視してほしい。学びから自分の一部にして欲しい。
個人的に”なんだか心地良い”と感じるための必要条件の一つ:[ 余白 ] [ 余白 ] あるいは [ emptiness : the state of containing nothing. ] (原研哉さんの思考より) はデザインの領域ではもちろん、ヒトとして生きる上で深く考えたい概念です。 余白が好きです。 例えばグラフィックのレイアウトでグリットシステムを用いることは、余白をデザインする事とほぼ同義だと捉えられるだろうし、 拡大解釈すれば、”腹八分目”も日常の
はじめまして。 干葡萄と申します。 大学でデザインを学んでいます。 日々自分のフィルターを通して感じたコトや、ヒトとモノの関係を言語化できたらなと思います。 好きなテイストの話。 君は、ミニマリストじゃないの? ミニマリスト的なデザインが好きなんでしょ。 腑に落ちない。なぜ。 それは あっても無くてもいいモノが好きだからかもしれない。 モノが好きだ。 現在自分を取り囲むカルチャーは、ミニマリズムを主とする系統と雑多や多様性を主とする系統の二つが大部分を占