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南条あやになれなかった私へ!

哀悼の意を表します!!さっさと諦めてオトナになんな。

これからって時に怖くて、もう2か月戦線を離脱している。怖いものがいっぱいでメールボックスが開けない。1か月前と同じように部屋を片付けられない。TOEICは600点を越えはしなかった。

教室を見渡して、髪の明るい子を見て安心している。スーツを着ている子を見て息が詰まる。見えているものだけで一喜一憂している。きっと目に見えないことの方が多いのに。

「いつから就活始めました?」の回答で、遅い方をボーダーラインにして、まだ大丈夫と自分をあやしている。恐ろしくて、眠れもせず動けもできなくなってしまう自分で、どうにか生活をしようと必死だ。錆びついたボディの修繕に毎日大わらわだよ。無理に動かして生活を送って、毎日ガタが来て、その修繕にそれ以外の時間を費やして、終わる間もなく今日がくる。また今日も今日が来た。明日が今日になってしまった。死にたいと思ってから、一体何度目の今日だろう。

死ぬなら14,17,19歳だと盲信していた。享年(14)の字面がいい感じだからだ。思春期で死んだようでいいじゃないか。思春期に殺されるなんて、まるで桜に攫われたような儚さがある。人生が水彩画のようなタッチで幕を引いた。邦画のいい所だけで作られたような人生だ。
煙草と酒なんていらなかった。そうなる前に死ねたらどれだけよかったことか。死ななかったのは自分じゃないか。そうだね。そうなんだよね。

『卒業式まで死にません』を読んだ高3の春の終わり。その日の日付を指でなぞってどきどきしたっけ。自分の誕生日をひいてみて、自分の生まれる前のこの日、この人も普通に生活していたんだなって、一日を愛おしく思えた。まだ高校生のままの3月30日で死ぬなんて、そんな夢みたいな終わりが、現実に存在するってことが救いだった。そんな人生がある世界に生きていることに救われた。ジェフリー・ダーマ―の背負ってきた大矛盾に気が付いた時にもそう思えた。そんな世界ならまだ生きていけるかもしれないって。

南条あやになれたら、こんな思いせずに済んだのにな。
あんまりにも子供じみてて駄目だね、こんなの。
本当に。ずっと死にたいのになあ。何やってるんだろう。何するために生きてるんだろう。

知ってることは、誕生した瞬間から人生に意味はないってこと。

あったとしたらそんなの咎だ。呪いだ。何かを為すために生きなくちゃいけないなんて、何かを為すための人生なんて、何かを為さなくては死ねないなんて、呪い以外の何物でもない。罰だろうそんなの。

目を閉じたら二度と世界を見ずに済みますように。死体も墓も弔いも哀悼もいりません。できる限りこの世に私を食い止めないでください。一刻も早く私の存在がこの世界からなかったことになりますように。目を閉じたら150年過ぎてたらいいな。そしたらきっと私はもう何でもない。

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