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人生諦めたい…、私もなった。

この仕事を始めて13年。
 精神疾患を持つ方々に、話を聞かせてもらうと、共感を得られることがとても多くあり、私自身もいつでもなり得たことだと思う。
「あの時、友人が居なかったら…」、「あの時、この仕事を選ばなかったら…」等、たくさんのタイミングを振り返るきっかけになることも事実。

いつでもなり得たな…と思うことが多く、
自分の経験から、なぜ今自分が生きていられるのか…を考えてみた。

1.初めて、死にたいと思った頃


高校時代、よく分かんないけど、毎日とにかく辛かった。

 そのうち、部活動の部長になって、エースの後輩からいじめられるようになり、たまに部活に行けなくなることもあった。
 担任兼副顧問には、根性論や責任性で論破され、少しも寄り添ってもらえなかった。この頃かな、、、感情を表に出すことは悪で、他人に合わせて自分の気持ちは隠すことが大切だ、と誤解をし始めたのは。
 しまいには、クラスと部活の悪いことは全部『お前のせい』と言われ、死ぬ夢を見るようになった。
 死にたいと思った初めての時

 その次は、大学時代。
 何かあった訳ではないが、うまく行かないことも多くあったり。でも、大学の友人・仲間にはたくさん救われた。お互いが、
 どんな考え方でも、受け入れようとするスタンスの仲間たちに救われた。

 最後は就職して、先輩たちから、パワハラ。
よく覚えてる。
 毎日、帰りが夜12時頃。必死になって働いた。心も体もボロボロになり、とある日、夜9時に帰ろうとした時、一つ上の先輩から『もう帰るの、掃除でもしてけよ』って。
 7〜8人の先輩たちから、リンチ?されたこともあった。最初の2年間は、ほぼ毎日死にたいと思ってた。
 あげたらキリが無いほどのパワハラ。。。
  でも、同期の存在や患者さんへの熱意で、なんとかやりきり、いつの間にか、たくさんの仲間が出来、いっぱしに働ける様になった。

2.あの頃を振り返ると、、、

 思春期って、すさまじい。
 私だけじゃない、たくさんの人が、崖っぷちだったのだと思う。
 私は、それこそクラスの中心的なメンバーに存在し、なんとかココでやっていくために必死でもがいていた。みんなが、自己を置いてけぼりにし、自分の位置を確保するため、他者を落とす。  

それは、
いわゆる『いじめ』に値するような、
明らかなやりとりではなくても、
『日常生活』のたわいもない一幕で
繰り広げられている。


 ただ、そこに存在するためだけに、必死に取り繕っているだけなのに、気がつくと、悪者扱いをされ、排除させられる。
 昨日まで、仲の良かった友達から、急にそっけない態度にさせられる。

 いわゆる、アイデンティティの確立途中の時期だからこそ、道徳心を忘れ、自分の立ち位置に必死になり、『排除』が発生するんだろう

自分の立ち位置 >   自分の信念を確立

だから、思う。

いじめ程大きなものではなくても、
傷付き、傷付けられるような排除は、日常からなくならない。

だからこそ、
だからこそ、
だからこそ、

思春期の子達には、

転んでも、起き上がれるような状況を作りたい。

信頼できる大人、
安心感のある親子関係、
逃げた先にホッとできる友達、
打ち込める部活や趣味…

そんな一つ一つが、きっと思春期の子達が、最悪な事態に陥らないために、必要なんだと思う。

そんな一つ一つを作る力を、養ってあげることが、
親や大人たちの責任なんだろう…そう思う。

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