[書籍]ソラリス

 少し前にアンドレイ・タルコフスキー監督の『惑星ソラリス』という映画について書いた。今回はその原作である、スタニスワフ・レムの『ソラリス』という小説を紹介してみる。私が読んだのはハヤカワ文庫で出ている「完全翻訳版」と謳われている下記のものだ。

 この作品はタルコフスキー監督による1970年代の映画の他、2000年を過ぎてからもスティーブン・ソダーバーグ監督によって映画化されているのだが、どうやら原作者のレムはいずれも気に入っていないらしい。

 それもそのはず、原作小説を読んでみるとどちらの映画版とも全く違うということがわかる。

 この小説を読んでみると、この作品を映画化するのは極めて難しいのではないかと思う。この作品は世のSFへのアンチテーゼであり、サイエンスの在り方を問うような作品で、文学という表現形式にとてもよくマッチした内容だ。作者が見せたいのはもちろんストーリーではない。

 この小説は実に小説らしい小説で、ソラリスという惑星についての研究全般を「ソラリス学」として、歴史のある学問として作品世界の中に構築しようとしている。その架空の歴史の中にはその道で著名な学者が何人もいて、それぞれに様々な論文があり、それらをまとめた年鑑があり、学者がいてその弟子がいる、といった時間の継続性もある。その学問全体をフィクションとして構築しようとしているのだ。まさに文字通りのサイエンス・フィクションである。サイエンスそのものをフィクション化することによって、学問自体に対する新たな視点を提示しようという意図が見える。

 タルコフスキーの映画でも印象的なシーンで使われた、宇宙ステーション内にある図書室。この図書室が小説版ではもっと大きな意味を持つ。図書室の場面では登場人物が本を読む。小説という一つの書物の中に、たくさんの書物を描き出そうという試みが行われている。ソラリス学の歴史を紐解くような膨大な架空の書籍とその著者たちが描かれる。大変な労力と分量をかけてこのシーンが描かれている。

 タルコフスキー版では冒頭で「映像記録の再生」という形で描かれる飛行士の談話も、小説版では書物として、主人公がそれを読む、という形で表現されている。

 ストーリーを軸としてみれば、その世界観を支えるための付随要素に過ぎないようなバックグラウンドが、詳細に、執拗に描写される。もちろん、ストーリーに対する付随要素のようなこちらのほうこそが作品の主軸であり、ストーリーの方が付随要素に過ぎないからだ。

 まさに文学の力をもってして初めて実現するような表現だと思う。小説とはこういうものだ、とさえ思う。

 映画の方の紹介で、映画のラストシーンが気に入らないという話を書いたけれど、小説を読んでみるとやはりその感覚は間違っていなかったと思う。小説のラストは映画とは全く異なる。小説の終盤で登場するこの作品にとってとても重要だと思われる要素も、映画の方にはまったくない。

 これはとても読み応えのある小説だ。読み応えがあるというのはあっさり読めないという意味でもある。ストーリー展開によって読者をひきつけ、読みやすさでラストシーンまで導いていくというタイプの小説とは大きく異なる。ストーリーを追うだけならおそらく、全体の半分以上が、読み飛ばしても支障のないものであろう。そういう意味で、この作品はSFにカテゴライズされるけれども、エンターテイメントではなく純文学に近いと言えるかもしれない。

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